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軽井沢ペイネ美術館顧問としてフランスのアンチーブのペイネ美術館を訪問した理由

軽井沢ペイネ美術館顧問としてフランスのアンチーブのペイネ美術館を訪問した理由

お問い合わせは:03-5848-8605     又は右下チャットでどうぞ 私は2012年に軽井沢ペイネ顧問として南フランスコートダジュールのアンチーブ市立ペイネ美術館を訪問した。 南仏アンチーブのペイネ美術館↓ 私の会社(㈱アデカはギャルリー亜出果と、1995年~2015年の20年間軽井沢プリンスショッピングプラザと軽井沢プリンスホテルにギャラリーヴァンドフランスというフランス絵画専門の画廊を経営していた。 軽井沢プリンスショッピングプラザのギャラリーヴァンドフランス ギャラリーヴァンドフランスはフランス大使館が後援していた フランス大使館経済商務官のベルナール・ロラン氏と武田康弘夫妻↓ 2010年当時の軽井沢プリンスホテルの総支配人の小山正彦氏(現プリンスホテル社長)に頼まれて、軽井沢プリンスホテルで軽井沢を国際的な観光と国際会議都市にする為の講演会を開催した。当時、観光業界は不況で、軽井沢プリンスホテルもトップシーズン以外は稼働率の最低記録を更新していた。   軽井沢リゾートコンフェランス推進協議会講演 左から犬塚実践女子大教授    松田尚美学園理事長兼学長 磯村元NHKニュースキャスター  ギャルリー亜出果武田康弘↓ NHKの元ニュースキャスターで初代パリ日本文化センター館長の磯村尚徳氏、尚美学園大学の学長兼理事長の松田義之氏と松田さんの弟子で実践女子大学教授の犬塚氏と私の4人で第1回軽井沢国際リゾートコンフェランス講演を開催した。 世界中の超一流の政治家や経済人があるまるダボス会議で有名なスイスのダボスやアメリカの高級文化リゾート都市のアスペンなどの話で盛りあがった。第1回は、軽井沢プリンスホテルで開催した。翌2011年には森トラストの傘下の万平ホテルで開催されて、森トラストの専務伊達美和子氏(現社長)、通産省官僚、長野県観光課の人とプリンスホテルの総支配人小山正彦氏(現社長)が講演した。 磯村尚徳氏とギャルリー亜出果武田康弘↓ その度に、藤巻軽井沢町長も出席して町全体として盛り上がる雰囲気ができて、軽井沢リゾートコンフェランス推進委員会(軽井沢RCC)が設立されて、軽井沢町としても軽井沢RCCに予算を付ける事になった。 軽井沢のペイネ美術館は軽井沢の塩沢湖を中心にした総合文化公園<タリアセン>の中にある。タリアセンには、ペイネ美術家以外に軽井沢に住んだ作家の原稿を集めた軽井沢高原文庫、花の博物館などもって、半日位は楽しく遊べる軽井沢の観光資源だ。 軽井沢タリアセン内のペイネ美術館↓ 私が軽井沢に国際会議や観光客を呼び入れるセミナーに企画をしたり、パネラーになって講演した為、軽井沢界隈で少し有名になった。タリアセンにはペイネ美術館があり、私は版元のミュレさんから購入したレイモン・ペイネのオリジナル版画の世界一のコレクターなので、2012年にタリアセンから依頼を受けて、ペイネ美術館の顧問としてアンチーブのペイネ美術館を訪問する事となった。   軽井沢ペイネ美術館前のペイネの恋人達の像↓   2012年の秋に始めて、アンチーブのペイネ美術館<正確にはレイモン・ペイネとユーモラスな作家の美術館>のグジョン館長とレイモン・ペイネの娘のアニー・ペイネに会い意見交換をした。   アンチーブペイネ美術館でペイネの娘アニーペイネとグジョン館長↓ 当時はアンチーブのペイネ美術館に来るアジア系は日本人のみだった。(現在は中国、韓国でもペイネが有名になり、日本人より中国人の来場の方が多いらしい。2019年にグジョン館長曰く) グジョン館長もアニー・ペイネも大喜びで私を迎えてくれて、アンチーブ市と軽井沢町を姉妹都市にする提案を貰った。アンチーブのペイネ美術館とピカソ美術館はいずれもアンチーブ市立美術館なので、グジョン館長も市の職員となっているので、この話はアンチーブ市に彼から提案することになった。また、軽井沢町の藤巻進町長一族が軽井沢タリアセン(ペイネ美術館)の経営者なので、前進すると私は思った。   ペイネ美術館のレイモン・ペイネのオリジナル版画<春夏秋冬>の前の アニーペイネ↓...

軽井沢ペイネ美術館顧問としてフランスのアンチーブのペイネ美術館を訪問した理由

お問い合わせは:03-5848-8605     又は右下チャットでどうぞ 私は2012年に軽井沢ペイネ顧問として南フランスコートダジュールのアンチーブ市立ペイネ美術館を訪問した。 南仏アンチーブのペイネ美術館↓ 私の会社(㈱アデカはギャルリー亜出果と、1995年~2015年の20年間軽井沢プリンスショッピングプラザと軽井沢プリンスホテルにギャラリーヴァンドフランスというフランス絵画専門の画廊を経営していた。 軽井沢プリンスショッピングプラザのギャラリーヴァンドフランス ギャラリーヴァンドフランスはフランス大使館が後援していた フランス大使館経済商務官のベルナール・ロラン氏と武田康弘夫妻↓ 2010年当時の軽井沢プリンスホテルの総支配人の小山正彦氏(現プリンスホテル社長)に頼まれて、軽井沢プリンスホテルで軽井沢を国際的な観光と国際会議都市にする為の講演会を開催した。当時、観光業界は不況で、軽井沢プリンスホテルもトップシーズン以外は稼働率の最低記録を更新していた。   軽井沢リゾートコンフェランス推進協議会講演 左から犬塚実践女子大教授    松田尚美学園理事長兼学長 磯村元NHKニュースキャスター  ギャルリー亜出果武田康弘↓ NHKの元ニュースキャスターで初代パリ日本文化センター館長の磯村尚徳氏、尚美学園大学の学長兼理事長の松田義之氏と松田さんの弟子で実践女子大学教授の犬塚氏と私の4人で第1回軽井沢国際リゾートコンフェランス講演を開催した。 世界中の超一流の政治家や経済人があるまるダボス会議で有名なスイスのダボスやアメリカの高級文化リゾート都市のアスペンなどの話で盛りあがった。第1回は、軽井沢プリンスホテルで開催した。翌2011年には森トラストの傘下の万平ホテルで開催されて、森トラストの専務伊達美和子氏(現社長)、通産省官僚、長野県観光課の人とプリンスホテルの総支配人小山正彦氏(現社長)が講演した。 磯村尚徳氏とギャルリー亜出果武田康弘↓ その度に、藤巻軽井沢町長も出席して町全体として盛り上がる雰囲気ができて、軽井沢リゾートコンフェランス推進委員会(軽井沢RCC)が設立されて、軽井沢町としても軽井沢RCCに予算を付ける事になった。 軽井沢のペイネ美術館は軽井沢の塩沢湖を中心にした総合文化公園<タリアセン>の中にある。タリアセンには、ペイネ美術家以外に軽井沢に住んだ作家の原稿を集めた軽井沢高原文庫、花の博物館などもって、半日位は楽しく遊べる軽井沢の観光資源だ。 軽井沢タリアセン内のペイネ美術館↓ 私が軽井沢に国際会議や観光客を呼び入れるセミナーに企画をしたり、パネラーになって講演した為、軽井沢界隈で少し有名になった。タリアセンにはペイネ美術館があり、私は版元のミュレさんから購入したレイモン・ペイネのオリジナル版画の世界一のコレクターなので、2012年にタリアセンから依頼を受けて、ペイネ美術館の顧問としてアンチーブのペイネ美術館を訪問する事となった。   軽井沢ペイネ美術館前のペイネの恋人達の像↓   2012年の秋に始めて、アンチーブのペイネ美術館<正確にはレイモン・ペイネとユーモラスな作家の美術館>のグジョン館長とレイモン・ペイネの娘のアニー・ペイネに会い意見交換をした。   アンチーブペイネ美術館でペイネの娘アニーペイネとグジョン館長↓ 当時はアンチーブのペイネ美術館に来るアジア系は日本人のみだった。(現在は中国、韓国でもペイネが有名になり、日本人より中国人の来場の方が多いらしい。2019年にグジョン館長曰く) グジョン館長もアニー・ペイネも大喜びで私を迎えてくれて、アンチーブ市と軽井沢町を姉妹都市にする提案を貰った。アンチーブのペイネ美術館とピカソ美術館はいずれもアンチーブ市立美術館なので、グジョン館長も市の職員となっているので、この話はアンチーブ市に彼から提案することになった。また、軽井沢町の藤巻進町長一族が軽井沢タリアセン(ペイネ美術館)の経営者なので、前進すると私は思った。   ペイネ美術館のレイモン・ペイネのオリジナル版画<春夏秋冬>の前の アニーペイネ↓...

レイモン・ペイネの絵の人気が今高まっている理由

レイモン・ペイネの絵の人気が今高まっている理由

 レイモン・ペイネは20世紀フランスで最も人気の高かったイラストレーターで国民的なレベルで愛された。そのペイネの21世紀現代の人気と価値を解説しよう。 レイモン・ペイネの作品価値  1:レイモン・ペイネが制作した美術作品 レイモン・ペイネは雑誌などに作品を発表したイラストレーターなので、画家のように沢山の絵画を制作販売した訳ではない。雑誌用にイラストを制作したり、ポスターを制作してその原画を、インクや水彩、不透明水彩などで描いた。私の知る限り、油彩画は見た事がない。そのペイネが1978年に星座12宮のエッチングと1985年にリトグラフを40種類程と1990年代にやはりリトグラフを数種類制作して、オリジナル版画の証明として自身で鉛筆サインを入れた。つまり、レイモン・ペイネが残した作品で美術品としての価値があるのは、原画と作家自筆サイン入りのオリジナル版画(エッチングとリトグラフ)のみとなる。ポスターなども希少価値は、あるかもしれない。   2:レイモン・ペイネは20世紀フランスで最も人気の高いイラストレーターだった レイモン・ペイネは1908年に生まれて、1999年にニース近郊で他界した。 美術系の学校卒業後広告デザイン業界で働き、28歳の時フランスの英字新聞にイラストを描いて注目され、種々の雑誌等にイラストを描き、44歳の時雑誌に恋人達のイラストを発表連載して、ペイネの恋人達は一躍脚光を浴びた。その後、ペイネの恋人達の人気が高まるにつれて、玩具会社がペイネの人形シリーズを、食器会社がペイネの恋人達の食器(現在もドイツのローゼンタール社はペイネの食器シリーズを生産販売をしている)などを販売し、レイモン・ペイネはフランスで最も有名なイラストレーターとなり、レイモン・ペイネとその恋人達は国民的レベルの知名度を得た。戦後日本は漫画大国になり、様々なスター漫画家が誕生したが、レイモン・ペイネはフランスでは突出して有名なイラストレーターとなった。つまり、レイモン・ペイネの恋人達は、鉄腕アトム、アンパンマンとドラエモンを合わせた位の人気があった。   3:レイモン・ペイネ美術館とファン<レイモン・ペイネの美術館やテーマパークは幾つもある。>    ①日本の軽井沢にはレイモン・ペイネ美術館がある。軽井沢は日本一の高級別荘地だが、軽井沢の人気スポットのタリアセン(文化的総合公園>の中にペイネ美術館があり軽井沢の重要な観光資源となっている。 ②南フランスのコードダジュールのアンチーブ市にもレイモン・ペイネとユーモラな作家美術館がある。隣接するピカソ美術館と共に、アンチーブ市が経営していてアンチーブ市とコートダジュールの重要な観光資源となっている。最近、レイモン・ペイネは日本以外のアジアの国でも人気が出ていて、中国や韓国からの観光客も訪れている。韓国で大々的なレイモン・ペイネ展が開催されたり、中国でレイモン・ペイネの人形が生産販売されている。アンチーブのレイモン・ペイネとユーモラスな作家美術館のグジョン館長が述べている。 アンチーブ市ペイネ美術館内の写真、モナコ公国のグレース王女、イタリアの女優ソフィア・ローレンなどの有名人とレイモン・ペイネが一緒に撮影した写真が掲載されたパネルの写真とレイモン・ペイネの娘アニーペイネのペイネ美術館内での写真(武田康弘撮影)↓ ③岡山県美作市にはレレイモン・ペイネのテーマパークがある。名前は作東バレンタインパークとなっていて、その中にある作東美術館はペイネの絵の美術館だ。公園の愛の泉にはペイネの恋人達の像が置かれている。又、バレンタインホテルという結婚式場のあるホテルも隣接し建てられている。 ④サン・バレンタイン(St.Valentine)市はサン・バレンタインは愛の天使で恋人達の守護天使の名前ので、恋人達の愛をテーマに町作りをしている。レイモン・ペイネテーマ館があり、日本の作東バレンタインパークのある美作市と姉妹都市になっていて。ペイネの絵画、グッズを集まてレイモン・ペイネテーマ館がある。 レイモン・ペイネテーマ館の内部写真   サン・バレンタイン市発行のペイネの結婚証明書↓ この封筒に使用されている絵のオリジナルリトグラフ版画は日本のギャルリー亜出果が新品を収蔵して発売している↓        ⑤広島平和公園のは原爆ドームを中心とした平和を祈念する公園だがその一角のレイモン・ペイネの恋人達の像が飾れていて<愛と平和のモニュメント>と名付けられている。 愛と平和のモニュメント↓ ⑥フランスのサンブリアックはレイモン・ペイネの母親の故郷で、ここにもレイモン・ペイネ美術館がある。 サンブリアックのペイネ美術館↓  ⑦フランスのヴァランス市(Valence)にはペイネの野外音楽堂美術館(Musee Kiosque Peynet)がある。レイモン・ペイネが44歳の時ヴァランス市の野外音楽堂見てペイネの恋人達のインスピレーションを得て、野外音楽堂の恋人達を描いた事で、バランス市はペイネの恋人達の発祥の地とされている。   ペイネ野外音楽堂美術館↓  ...

レイモン・ペイネの絵の人気が今高まっている理由

 レイモン・ペイネは20世紀フランスで最も人気の高かったイラストレーターで国民的なレベルで愛された。そのペイネの21世紀現代の人気と価値を解説しよう。 レイモン・ペイネの作品価値  1:レイモン・ペイネが制作した美術作品 レイモン・ペイネは雑誌などに作品を発表したイラストレーターなので、画家のように沢山の絵画を制作販売した訳ではない。雑誌用にイラストを制作したり、ポスターを制作してその原画を、インクや水彩、不透明水彩などで描いた。私の知る限り、油彩画は見た事がない。そのペイネが1978年に星座12宮のエッチングと1985年にリトグラフを40種類程と1990年代にやはりリトグラフを数種類制作して、オリジナル版画の証明として自身で鉛筆サインを入れた。つまり、レイモン・ペイネが残した作品で美術品としての価値があるのは、原画と作家自筆サイン入りのオリジナル版画(エッチングとリトグラフ)のみとなる。ポスターなども希少価値は、あるかもしれない。   2:レイモン・ペイネは20世紀フランスで最も人気の高いイラストレーターだった レイモン・ペイネは1908年に生まれて、1999年にニース近郊で他界した。 美術系の学校卒業後広告デザイン業界で働き、28歳の時フランスの英字新聞にイラストを描いて注目され、種々の雑誌等にイラストを描き、44歳の時雑誌に恋人達のイラストを発表連載して、ペイネの恋人達は一躍脚光を浴びた。その後、ペイネの恋人達の人気が高まるにつれて、玩具会社がペイネの人形シリーズを、食器会社がペイネの恋人達の食器(現在もドイツのローゼンタール社はペイネの食器シリーズを生産販売をしている)などを販売し、レイモン・ペイネはフランスで最も有名なイラストレーターとなり、レイモン・ペイネとその恋人達は国民的レベルの知名度を得た。戦後日本は漫画大国になり、様々なスター漫画家が誕生したが、レイモン・ペイネはフランスでは突出して有名なイラストレーターとなった。つまり、レイモン・ペイネの恋人達は、鉄腕アトム、アンパンマンとドラエモンを合わせた位の人気があった。   3:レイモン・ペイネ美術館とファン<レイモン・ペイネの美術館やテーマパークは幾つもある。>    ①日本の軽井沢にはレイモン・ペイネ美術館がある。軽井沢は日本一の高級別荘地だが、軽井沢の人気スポットのタリアセン(文化的総合公園>の中にペイネ美術館があり軽井沢の重要な観光資源となっている。 ②南フランスのコードダジュールのアンチーブ市にもレイモン・ペイネとユーモラな作家美術館がある。隣接するピカソ美術館と共に、アンチーブ市が経営していてアンチーブ市とコートダジュールの重要な観光資源となっている。最近、レイモン・ペイネは日本以外のアジアの国でも人気が出ていて、中国や韓国からの観光客も訪れている。韓国で大々的なレイモン・ペイネ展が開催されたり、中国でレイモン・ペイネの人形が生産販売されている。アンチーブのレイモン・ペイネとユーモラスな作家美術館のグジョン館長が述べている。 アンチーブ市ペイネ美術館内の写真、モナコ公国のグレース王女、イタリアの女優ソフィア・ローレンなどの有名人とレイモン・ペイネが一緒に撮影した写真が掲載されたパネルの写真とレイモン・ペイネの娘アニーペイネのペイネ美術館内での写真(武田康弘撮影)↓ ③岡山県美作市にはレレイモン・ペイネのテーマパークがある。名前は作東バレンタインパークとなっていて、その中にある作東美術館はペイネの絵の美術館だ。公園の愛の泉にはペイネの恋人達の像が置かれている。又、バレンタインホテルという結婚式場のあるホテルも隣接し建てられている。 ④サン・バレンタイン(St.Valentine)市はサン・バレンタインは愛の天使で恋人達の守護天使の名前ので、恋人達の愛をテーマに町作りをしている。レイモン・ペイネテーマ館があり、日本の作東バレンタインパークのある美作市と姉妹都市になっていて。ペイネの絵画、グッズを集まてレイモン・ペイネテーマ館がある。 レイモン・ペイネテーマ館の内部写真   サン・バレンタイン市発行のペイネの結婚証明書↓ この封筒に使用されている絵のオリジナルリトグラフ版画は日本のギャルリー亜出果が新品を収蔵して発売している↓        ⑤広島平和公園のは原爆ドームを中心とした平和を祈念する公園だがその一角のレイモン・ペイネの恋人達の像が飾れていて<愛と平和のモニュメント>と名付けられている。 愛と平和のモニュメント↓ ⑥フランスのサンブリアックはレイモン・ペイネの母親の故郷で、ここにもレイモン・ペイネ美術館がある。 サンブリアックのペイネ美術館↓  ⑦フランスのヴァランス市(Valence)にはペイネの野外音楽堂美術館(Musee Kiosque Peynet)がある。レイモン・ペイネが44歳の時ヴァランス市の野外音楽堂見てペイネの恋人達のインスピレーションを得て、野外音楽堂の恋人達を描いた事で、バランス市はペイネの恋人達の発祥の地とされている。   ペイネ野外音楽堂美術館↓  ...

20世紀フランスで最も愛された画家イラストレーターのレイモン・ペイネ=愛と平和の画家イラストレーター

20世紀フランスで最も愛された画家イラストレーターのレイモン・ペイネ=愛と平和の画家イラストレーター

1908年 パリに生まれて、le rire (笑)、France Dimanche (フランス日曜)Ici Paris (ここパリ)などの雑誌や新聞に漫画を発表、若くして才能を認められる。 文芸作品の挿絵や芝居・バレーの舞台装置も手掛ける。国際漫画祭でグランプリ受賞。パリ市金賞他受賞。フランス共和国から芸術文化功労勲章を授与されている。 抒情性豊かな恋人たちを描くペイネの絵は、一篇の詩のように、恋人たちの心の中に咲いている様々な花々を摘んで私達に見せて楽しませてくれる。 世界中の若い人からお年を召された人々まで広く愛されている。モナコ公国がペイネの人形コレクションを収蔵軽井沢と南仏アンチーブに美術館があり、ペイネのイラスト、版画、ポスター、陶器、人形、などが展示されていて楽しい。  

20世紀フランスで最も愛された画家イラストレーターのレイモン・ペイネ=愛と平和の画家イラストレーター

1908年 パリに生まれて、le rire (笑)、France Dimanche (フランス日曜)Ici Paris (ここパリ)などの雑誌や新聞に漫画を発表、若くして才能を認められる。 文芸作品の挿絵や芝居・バレーの舞台装置も手掛ける。国際漫画祭でグランプリ受賞。パリ市金賞他受賞。フランス共和国から芸術文化功労勲章を授与されている。 抒情性豊かな恋人たちを描くペイネの絵は、一篇の詩のように、恋人たちの心の中に咲いている様々な花々を摘んで私達に見せて楽しませてくれる。 世界中の若い人からお年を召された人々まで広く愛されている。モナコ公国がペイネの人形コレクションを収蔵軽井沢と南仏アンチーブに美術館があり、ペイネのイラスト、版画、ポスター、陶器、人形、などが展示されていて楽しい。  

愛と平和の画家イラストレーター、レイモン・ペイネの軽井沢ペイネ美術館

愛と平和の画家イラストレーター、レイモン・ペイネの軽井沢ペイネ美術館

1985年に軽井沢にペイネ美術館が出来て、レイモン・ペイネ夫妻もオープニングに招待されて来日した。ペイネ美術館は軽井沢の<タリアセン>という名前の総合文化パークの中にある。軽井沢駅から旧軽といわれる軽井沢銀座がある北口と反対の南側でてに3km程行ったところだ。 塩沢湖という小さな湖の傍にたっている。チェコ出身のアントン・レイモンドが建てた夏の家という建築物を美術館として使用している。名前の通リ水辺の涼しけな木造の建物だ。美術館の入り口に、ペイネの恋人達が描かれた看板とペイネの恋人達のブロンズ像があり、美術館とわかる。 木の壁のあちこちにペイネのデッサン、不透明水彩、ペン画、オリジナル版画、ポスターなどが展示してある。私が、軽井沢プリンスショッピングプラザにフランス絵画専門のギャラリーヴァンドフランスを出展した頃に比ると展示内容は随分よくなった。様々のイヴェントも企画して楽しい美術館になっている。 タリアセンのスタッフは藤巻さんという温厚な副社長、清水さんという才能溢れる企画担当と青山さんという熱心なペイネ美術館担当がアイデアを出しあって運営している。彼らが継続的に美術館の水準を高め続けている。

愛と平和の画家イラストレーター、レイモン・ペイネの軽井沢ペイネ美術館

1985年に軽井沢にペイネ美術館が出来て、レイモン・ペイネ夫妻もオープニングに招待されて来日した。ペイネ美術館は軽井沢の<タリアセン>という名前の総合文化パークの中にある。軽井沢駅から旧軽といわれる軽井沢銀座がある北口と反対の南側でてに3km程行ったところだ。 塩沢湖という小さな湖の傍にたっている。チェコ出身のアントン・レイモンドが建てた夏の家という建築物を美術館として使用している。名前の通リ水辺の涼しけな木造の建物だ。美術館の入り口に、ペイネの恋人達が描かれた看板とペイネの恋人達のブロンズ像があり、美術館とわかる。 木の壁のあちこちにペイネのデッサン、不透明水彩、ペン画、オリジナル版画、ポスターなどが展示してある。私が、軽井沢プリンスショッピングプラザにフランス絵画専門のギャラリーヴァンドフランスを出展した頃に比ると展示内容は随分よくなった。様々のイヴェントも企画して楽しい美術館になっている。 タリアセンのスタッフは藤巻さんという温厚な副社長、清水さんという才能溢れる企画担当と青山さんという熱心なペイネ美術館担当がアイデアを出しあって運営している。彼らが継続的に美術館の水準を高め続けている。

南仏コートダジュール、アンチーブのペイネ美術館=レイモン・ペイネ愛と平和の世界

南仏コートダジュール、アンチーブのペイネ美術館=レイモン・ペイネ愛と平和の世界

南フランス地中海沿いのアンチーブはニース、カンヌ、サントロペ、モンテカルロなどと並んで有名なリゾート地だ。アンチーブ駅から200メートル程の所に旧市街の入り口があり、そのから1km程旧市街を進むと海の手前の広場に面してペイネ美術館がある。ペイネ美術館の正式名称はレイモン・ペイネとユーモラスな作家達の美術館だ。このペイネ美術館と100メートル程離れたところにあるピカソ美術館がアンチーブ市の文化的な観光資源となっている。私は何回がアンチーブに行きペイネ美術館で館長のグジョンさんとレイモン・ペイネのアニーペイネさんにあった.。人共親切な人だ。美術館が面している広場には、ペイネの恋人達の銅像が設置され、ペイネの絵画にでてくるキオスク(野外音楽堂)も最近作られた。 美術館の中には、オリジナル版画、オリジナルポスター、デッサンだけでなくペイネの恋人達が描かれた陶器、ペイネがデザインした人形も展示されている。ペイネの陶器はドイツの会社、人形はフランスの会社が制作して随分うれたらしい。美術館はペイネ人形の全シリーズを揃えたいらしいのだが、現在では入手困難らしい。隣のモナコ公国のグレース王女がペイネのファンでペイネ人形を全種類そろえているので、美術館に譲ってくれるように頼んでいるのだが、良い返事がもらえないらしい。   私は、軽井沢のペイネ美術館に頼まれたて、軽井沢ペイネ美術館とアンチーブのペイネ美術館の橋渡しの為何度か、アンチーブペイネ美術館のグジョン館長とレイモン・ペイネの娘のアニー・ペイネさんと会ったが二人とも親切な人だ。

南仏コートダジュール、アンチーブのペイネ美術館=レイモン・ペイネ愛と平和の世界

南フランス地中海沿いのアンチーブはニース、カンヌ、サントロペ、モンテカルロなどと並んで有名なリゾート地だ。アンチーブ駅から200メートル程の所に旧市街の入り口があり、そのから1km程旧市街を進むと海の手前の広場に面してペイネ美術館がある。ペイネ美術館の正式名称はレイモン・ペイネとユーモラスな作家達の美術館だ。このペイネ美術館と100メートル程離れたところにあるピカソ美術館がアンチーブ市の文化的な観光資源となっている。私は何回がアンチーブに行きペイネ美術館で館長のグジョンさんとレイモン・ペイネのアニーペイネさんにあった.。人共親切な人だ。美術館が面している広場には、ペイネの恋人達の銅像が設置され、ペイネの絵画にでてくるキオスク(野外音楽堂)も最近作られた。 美術館の中には、オリジナル版画、オリジナルポスター、デッサンだけでなくペイネの恋人達が描かれた陶器、ペイネがデザインした人形も展示されている。ペイネの陶器はドイツの会社、人形はフランスの会社が制作して随分うれたらしい。美術館はペイネ人形の全シリーズを揃えたいらしいのだが、現在では入手困難らしい。隣のモナコ公国のグレース王女がペイネのファンでペイネ人形を全種類そろえているので、美術館に譲ってくれるように頼んでいるのだが、良い返事がもらえないらしい。   私は、軽井沢のペイネ美術館に頼まれたて、軽井沢ペイネ美術館とアンチーブのペイネ美術館の橋渡しの為何度か、アンチーブペイネ美術館のグジョン館長とレイモン・ペイネの娘のアニー・ペイネさんと会ったが二人とも親切な人だ。