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ミッシェル・アンリ

 

    

油彩40号 エッフェル塔とミラボー橋   

 ギャルリー亜出果は1995年以来ミッシェル・アンリの日本総代理店として日本各地の有名百貨店、画廊でミッシェル・アンリ来日展を企画し、ミッシェル・アンリの作家自筆サイン入りオリジナル版画の制作、絵画版画の販売、著作権の管理をしています。              

 目次

ミッシェル・アンリ経歴1928~1965

ミッシェル・アンリ経歴1965~1999

ミッシェル・アンリ経歴2000~2016

作品収蔵コレクター

ミッシェル・アンリからの手紙2006

ユニベール・デザール誌2013年7-8月号掲載記事

ユニヴェール・デ・ザール誌2004年4月号ミッシェル・アンリ対談

ユニベール・デ・ザール誌2003年9月号掲載記事

ユニベール・デ・ザール誌2003年6月号掲載記事

ユニヴェール・デ・ザール誌2001年3月号掲載記事

ユニベール・デ・ザール誌2000年夏号掲載記事

 

 ミッシェル・アンリ経歴

1928年 フランス西部の古代ローマ人が作った城塞都市ラングルに生まれ.

 1947年~ 国立パリ美術学校入学。年力強い構図を得意とするナルボンヌのクラスで学ぶ。同じクラスにビュッフェが在籍、中退。

1950年~年美しい色彩を持ち味とするシャプラン・ミディのクラスで学び主席で卒業する。シャプラン・ミディのクラスの後輩にカシニョールが入学しカシニョールの入学の再の面接官はミッシェル・アンリだった。ミッシェル・アンリ オリジナルシルク版画 <アルザスの春>

<アルザスの春>オリジナル版画(シルクスクリーン)フランスの四季シリーズ

 

1954年 国立パリ美術学校代表としてバルセローナに派遣され作品展示

1955年 国立パリ美術学校代表としてベルリンに派遣され作品展示 テイラー賞受賞

1956年 デカルトの家賞受賞によりアムステルダムのデカルトの家に国費留学

1957年~58年 カザ・ベラスケル賞受賞によりマドリッドに国費留学。

1958年~65年 パリの高級画廊マチニョンのトップ画廊ギャラリーロマネと契約

1960年 パレ・ロワイヤル賞 パリ市展銀賞 この年を境に戦後の暗い雰囲気の画風を離れ輝く色彩で描き始める。

1961年 アンリ・ファルマン賞

1965年 国立美術協会青年画家大賞

1965年~2010年 モンパルナス地区のルクレール通り元シャガールのアトリエに住む

67年~85年 アメリカの画廊ウオーレイ・フィンドレイ・ギャラリーと契約

        <パリ、シカゴ、パームビーチ、ニューヨーク、ロンドン>

        この間毎年アメリカに行く。

1974年 サローヌ・ドートンヌ代表としてイラン訪問イラン国王と会う

1975年 ジュネーブで個展

1977年 フランス芸術家協会金賞

1981年 レジオン・ドヌール勲章騎士号 フランス国立園芸協会金賞

1982年 ジュネーブで個展

1983年 サローヌ・ドートンヌ事務局長就任

1984年 農事功労賞騎士号 サローヌ・ドートンヌがミッシェル・アンリ回顧展

1985年 サローヌ・ドートンヌ代表として初来日し上野の国立西洋美術館に作品展示

1986年 パリ市特別賞

1987年 日本で世界蘭博覧会の一環として絵画が展示される

 

ミッシェル・アンリ 版画(シルクスクリーン) <カシスの夏>

<カシスの夏> オリジナル版画(シルクスクリーン)フランスの四季シリーズ

1989年~95年 マチニョン街のエチエンヌ・サシー画廊と契約

ミッシェル・アンリとブラジリエがエチエンヌ・サシー2枚看板となる。

1990サローヌ・ドートンヌ副会長に就任

1991年 サロン・ド・ヴィレ金賞 セディエール城での回顧展シラク夫人主導

1992年 日本の小野田セメント(現太平洋セメント)が絵画カレンダー1994年~95年発注

パリのエチエンヌ・サシー画廊で個展 ニューヨークで個展

1993年 リールとドイツのミュンヘンで個展

1994年 サローヌ・ドートンヌ副会長として翌年の日本特集の準備の為来日 

ブリュッセルで個展

1994年~ 日本の㈱アデカと日本独占契約 以降2009年まで毎年来日

1995年~ マチニョン街のアレクサンダー・レオドウーズ画廊と契約

1995年 日本橋東急百貨店 東急東横店ミッシェル・アンリ来日絵画展

1996年 日仏現代美術展フランス代表として出席 日本は森善朗 第1回カルヴィ市現代アート展副会長に就任 パリ8区の高級レストランchez ivanの装飾がミッシェル・アンリの絵画でなされる。

シャペル・デ・ジェズイットて回顧展

1997年 子供の眼病の研究基金の為のニューヨークでのオークションに参加。主催者のスエーデン王女マリアンヌ・ベルナデットが直接アトリエにお礼に来る。

2回カルヴィ―市現代アート展会長に就任

シャトー・ド・ヴィクスーズで個展

沖縄三越ミッシェル・アンリ来沖絵画展 レイモン・バール元首相夫人、オルレアン公女からメッセージが届く 沖縄三越店長(元パリ支店の大歓迎を受ける)

 1998年 神戸オリエンタルホテルフランスフェアーのメインイヴェントとしてミッシェル・アンリ絵画展 兵庫県知事貝原氏より兵庫県の迎賓館招待され兵庫県の鍵を頂く サンテレビ出演 大阪神戸総領事表敬訪問 

日の出岬ホテル(北海道雄武町)がミッシェル・アンリの油彩画でホテルを飾りミッシェル・アンリギャラリーを作る

プランタン銀座 ミッシェル・アンリ来日絵画展 石井千恵子社長より壁画の依頼(ビュッフェ、ブラジリエ等)されプランタン銀座の壁画を描く

シャトード・ド・ヴァルでの展示会(ジャック・シラク大統領特別後援) 300,000人の入場者を数える

1999年 パリ2000年のリトグラフシリーズを発表。パリの名所20か所の版画セットで発売。プランタン銀座と千葉三越ミッシェル・アンリ来日絵画展

ギャラリーアデカ(サンシャインシティわ

 

2000年 兵庫県が震災復興を記念して花と緑の博覧会<ジャパンフローラ2000>開催。

フランス国立園芸協会の代表として兵庫県名誉市民のミッシェル・アンリ氏を招待。

名古屋三越ミッシェル・アンリ来日絵画展

新宿高島屋ミッシェル・アンリ来日絵画展

京都大丸ミッシェル・アンリ来日絵画展

 

2001年 池袋三越ミッシェル・アンリ来日展開催

    千葉三越ミッシェル・アンリ来日絵画展

    グルドーモンターニュ駐日フランス大使がギャルリー亜出果と共催してミッシェル・アンリ歓迎パーティーを駐日フランス大使公邸で開催。デビ・スカルノインドネシア元大統領夫人やオペラ歌手の秋川雅史が出席する。

 2002年 札幌三越ミッシェル・アンリ来日展開催(札幌文化放送が放映)

     雄武町町長主催でミッシェル・アンリ歓迎パーティー。ミッシェル・アンリとフランス大使館からフィエスキー一等書記官、ジル・ギオー札幌アリアンスフランセーズ校長、ギャルリー亜出果武田康弘が参加。

岡山天満屋ミッシェル・アンリ展開催。

 

2003年 池袋三越ミッシェル・アンリ来日絵画展

    仙台三越ミッシェル・アンリ来日絵画展 (仙台放送が放映)

    博多大丸ミッシェル・アンリ来日絵画展開催。

  ミッシェル・アンリとギャルリー亜出果武田康弘が博多大丸会長・福岡日航ホテル社長の太田和夫氏に博多に招待される。ホテル日航がミッシェル・アンリの絵画を購入ホテルに飾る。

ギャラリー木村ミッシェル・アンリ来場絵画展。神戸大阪総領事のフィリップ・シャテニュー氏と元大阪市長の大嶋夫妻が来場。

ミッシェル・アンリの絵画で装飾された阪急インターナショナルホテルに、ミッシェル・アンリ、フィリップ・シャテニュー総領事、仁野 覚パリエスモード学園パリ本校校長、小笠原英二 社)神戸日仏協会副会長 ギャルリー亜出果社長武田康弘が招待される

 

2004年 木梨芳一 札幌文化放送社長tとギャルリー亜出果社長武田康弘が雄武町のミッションとしてミッシェル・アンリの故郷ラングルを訪れる。ミッシェル・アンリギャラリーのある雄武町とミッシェル・アンリ美術館を予定しているラングルの友好関係を深めるため。松原アルザス領事も出席してラングル市長により歓迎会開催。

日本橋三越ミッシェル・アンリ来日絵画展(フランスフェア)

神戸大丸ミッシェル・アンリ来日展開催 ミッシェル・アンリとギャルリー亜出果 武田康弘が井戸兵庫県知事を表敬訪問

広島三越がミッシェル・アンリ来日展開催(広島テレビが放映)

 

2005年 6月恵比寿ウインスティンホテルで伊勢丹百貨店特別顧客招待招会でミッシェル・アンリとフランス巨匠展開催(ミッシェル・アンリ、ピカソ、シャガール、ユトリロなどが展示される。)

11月新宿伊勢丹・松戸伊勢丹・府中伊勢丹ミッシェル・アンリ来日絵画展開催

 

2006年 日本橋三越ミッシェル・アンリ来日絵画展 

    仙台三越ミッシェル・アンリ来日絵画展

    横浜インターコンチネンタルホテルミッシェル・アンリ来日展

  

2007年 フランス北部の中心都市リールの高級ホテルエルミットガントロワがミッシェル・アンリ回顧展を開催。日本からギャルリー亜出果武田康弘を招待する。

   池袋東武ミッシェルアンリ来日展 

   神戸大丸ミッシェル・アンリ来日展 

   広島三越ミッシェル・アンリ来日展

   岡山天満屋ミッシェル・アンリ展

 

2008年 日本橋三越ミッシェル・アンリ来日展開催 

     福山天満屋ミッシェル・アンリ来日展開催(広島テレビが放送)

     名古屋三越ミッシェル・アンリ展

 

2009年  神戸大丸がミッシェル・アンリ来日絵画展開催 

     京都大丸ミッシェル・アンリ来日絵画展開催

     箱根小田急ハイランドホテルギャラリーがミッシェル・アンリ来日展開催

 

2011年 パリ市展金賞 パリとカンヌのヴィセリ画廊がミッシェル・アンリ個展開催

 

2012年 日本橋三越ミッシェル・アンリ展  神戸大丸ミッシェル・アンリ絵画展開催

 

2013年 日本橋三越フランス現代アートの世界展のメイン画家として出展

     札幌三越ミッシェル・アンリ展 開催

 

2014年 パリ郊外のアントニー市主催ミッシェル・アンリ回顧展開催

2016年12月25日   パリ郊外にて死去

     

 その他の日本でのミッシェル・アンリ展(心斎橋大丸、京都大丸、梅田大丸、岡山天満屋、高松天満屋、広島三越、梅田大丸 吉祥寺東急、、たまプラーザ東急、町田東急、町田小田急、いわき大国屋)

 

作品収蔵コレクター

コレクター:パリ市近代美術館  ボゴタ美術館  ヴァランス美術館 ラングル美術館  ベイルート美術館  オルレアン美術館  サウジアラビア王室  モナコ公室 スエーデン王室  オランダ王室  ノルウエー王室  シラク元フランス共和国大統領  レイモン・バール元フランス首相  フランス女優ジャンヌ・モロー  アメリカ女優グレダ・ガルボ カナダカルガリロックホテル 阪急インターナショナルホテル、福岡日航ホテル 順天堂医院 …etc

 

 ミッシェル・アンリからギャルリー亜出果への手紙2006

 

私は自然の画家です。木々、原野、森、花々、果実など全て好きです。だから、私は農業功労賞を受賞いたしました。この賞は、多くの方が受賞を望まれますが、アーティストが受賞する事は稀です。この作品は野の花々のブーケです。とてもシンプルで素朴な作品です。画家がいなければ、コクリコがこれほど賞でられる事はないでしょう。なぜなら切り取られて花瓶に入れられたコクリコは、すぐに色褪せてしまうからです。画家がいなかったら、コクリコが他の花々と一緒に花瓶に行けられるのを見ることも無いでしょう。なぜなら、他の花々が長く咲き誇っていても、コクリコはすぐに萎れてしまいますから、一緒に活ける事が出来ないのです。つまり、画家の魔法によってコクリコは枯れずに咲き誇っているのです。魔法とは画家のイマジネーションです。普通の花は、花瓶の水を吸い上げて生き延びますが、コクリコは逆に樹液が水の中に流れ出しすぐに枯れてしますのです。コクリコを花瓶の水に浸けると驚く程の速さで萎れます。自然のミステリーです。コクリコはかよわい花です。画家の魔法とは、一瞬にして枯れてしまう、コクリコにキャンヴァスの上で永遠の命を与えるのです。

 

 

ユニベール・デ・ザール誌2013年7月~8月号

 

最近開催されたマレの画家展でも、ミッシェル・の登場はやはり注目を集めた。ミッシェル・アンリは極度に控え目にしていても、彼の絵画マーケットでの大きな存在感を常に感じさせる。 

ミッシェル・アンリは同世代の具象画家の中でも特に活躍している画家である。彼は、40年間常にフランス人に支持された高い価値の画家である。それは、彼のコレクターやメセナのリストを見てもすぐに解ることだ。大統領夫妻、大臣、国家の要人、有名な俳優は歌手などを彼の絵画は魅了し続けてきた。フランスのエリート達の美しい客間に招待されるとミッシェル・アンリの絵画を目にするだろう。 

今日、ミッシェル・アンリは多くのイヴェントに参加し彼の絵画は、展示され、輸出され売られている。オークションでの重要な品目に数えられ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、日本、韓国の客を引き寄せている。それらの国で、巨匠ミッシェル・アンリは非常に稀な卓越した画家として愛されている。彼のマチエール(絵画の質感)が生み出す澄んだ透明感のある絵画は、彼の無二の才能の証であり、美と愛の永遠の栄光を作り続けている。

 

 

 ユニベール・デ・ザール誌2004年4月号

 

ユニベール・デ・ザール誌xミッシェル・アンリ対談

 

U 貴方の絵画について聞かせてください。

 

M 私にとっては、絵画のテクニックと知識がとても大切です。歳を経れば、経るほどに才能だけでは描けないとの思いを深めます。才能はテクニックの裏付け、つまり勤勉な  練習があって初めて開花します。だから、4・5点画いて画家と名乗る事は出来ません。絵画が偶然に巧く画ける事も、偶然に失敗する事も有り得ないのです。アマチアの画家は、なぜ巧く画けたのか、なぜ駄目だったのがわからないのですが、プロはその理由を知っています。テクニックが全ての基本であるとすれば、デッサンはテクニックの基本です。タブロー(油彩画)を見る時には、色彩の下にデッサンが、構成が、建築がある事を知るべきです。偉大な画家の研究をすれば解る事ですが、訓練によって完成されたテクニックを持たない画家はいません。完全にテクニックを身に付けた後に、その画家の独自性が完成するのです。

 

U どの画家が一番心に響きますか。

 

M 私の好きな画家ですか?ボナール(Bonanard)よりも、ビュイアール(Vuillard)、クレーよりもスタールが好きです。私にとってはいビュイアールは生き生きとしてストレートです。スタールに関して言えば、自然から出発して抽象に至ります。クレーはその逆方向で、抽象から自然に向かいます。

 

U 印象派については如何ですか。

 

M 印象派は余りに全員一致で人気が在りすぎます。今日では、印象派は自己完結しているように思われていますが、ある時代の流行に過ぎません。なのに、フランス絵画はルイ15世の世紀で止まってしまったかのように思われています。例えルイ15世の時代に芸術が完成の時をむかえたとしても、その時代で芸術が停止する訳では在りません。

 

U貴方の最近のインスピレーションについてお伺いしたいのです。インスピレーションは時と共に変化しますか。

 

M 私のインスピレーションはずっと同じです。けれども、進化していきます。私の初めてのタブロー(油彩画)は窓の前にあるミモザのブーケでした。背景は想像で画きました。その、想像して画いた背景は私の故郷ラングルの城壁でした。その時やはり、カーテンも画きました。

 

U 貴方の絵画のオリジナリティはどのようにして生まれましたか。

 

D 私にとって運命的な欠陥によって生まれました。つまり、欠陥が最大の魅力になったのです。私が画き始めた時、私は色価(valeur)に無関心で色彩にのみ興味が在りました。例えば赤は沈んだ色価(valeur)ですが、私は輝く色彩と考え、明るい色価(valeur)として使用しました。その結果、絵の背景は明るいものですか、私は逆に沈んだ色にしました。それでも、結構見られる絵になったのです。私には色彩が色価(valeur)より優先するのです。今でも思い出すのですが、私の指導教授のシャプラン・ミディが<君は色価を無視して絵を完成させる幸運を掴んだ、私は何時も色価を考えながら画かなければならない>と嘆いたものです。

 

U 貴方は自分の見た物とモチーフから自由になれますか。

 

D 勿論です。幸運な事に絵画は人工の物なので、目でみる現実その物ではありません。むしろ、芸術家はその現実の後ろに何があるかを見抜いていくのです。

 

U つまり貴方は非常に豊かな想像力に恵まれていると考えてよろしいですか。

 

D それは、分かりません。私は全ての物から学びます。例えば、散歩する時、周囲を見ながら歩きます。私が、タブローを画き始める時、すでになすべき事が分かっています。アイデアが完全に固まっていない時でも、進めて行くうちに突然閃きます。

 

U もし、間違っていたらすみませんが。結構、速く画かれるようですね。

 

D はい、画くスピードは速い方です。私の周りには、良い画家でもっと早く画く人もいます。私は効率の良いほうです。画くスピードはその画家の個性に依ります。モリエールは<人間嫌い>の中で「時間を掛ければ良いとゆうものでは無い」といっています。作品の質は製作に掛けた時間に比例しません。非常に幸運に恵まれる時があって、その時は自分で自分の限界を超えていると感じます。自分でも驚くのです。絵画の魔法とでの言いましょうか。

 

 

ユニベール・デ・ザール誌 2003年9月号

 

ミッシェル・アンリ回顧展 1949年~2003年

 この9月はミッシェル・アンリにとって重要なヴァカンス明けとなった。ミディ・ピレネー地方議会とタルヌ県議会が、ツールーズ・ロートレックの生まれた町アルビーで彼の大規模な回顧展を開催する。ミッシェル・アンリの才能については異論の無いところだが、フランスのみならず海外<特にアメリカと日本>でも彼のコレクターは多い。

 

この地方のミッシェル・アンリのコレクターのミッシェル・ゴメス氏が中心となって企画を進め、アルビーでのサローンヌ・ドートンヌが開催されるムーラン・アルビジュワで、つまり画家にとっても親しい場所での開催となった。ミッシェル・アンリがフランス国立高等美術学校卒業直後の1951年~1956年アムステルダムのデカルトの家に留学中の作品、1957-1958年マドリッドのベラスケスの家留学中の作品など古い時代の作品に触れる絶好の機会だ。

 

もちろん最近の作品も展示され、皆さんの馴染み深い、前景にブーケがあり、後景に開かれた窓の向こうに風景や海景が配された構図の作品もご覧になれる。ミッシェル・アンリの言葉を引用しよう<私は自然を私の感性に従って再創造する。私のヴィジョンは植物画家とも、風景画家とも、ましてやシュールレアリストとも違う。私は私が見たものを描くのではない。私が見た物は、私が見ていない物を描くために必要なのだ。>ミッシェル・アンリの作品には透明感がある。花や果物が盛られた、クリスタルの瓶、コンポート、花瓶などをキャンバスに描き出す。

 

彼が花を好きなのは、この自然のエレメントは例外的な色彩のニュアンスを持っているからだ、自然の中のどんな物よりも勝った輝きだ。再びミッシェル・アンリを引用しよう<もし、私がよく花を描くとすれば、この世で一番美しい色は花の色であり、また、花の表情から、その香りも感じる事が出来ることを確信しているからだ。>

 100点余りの作品が展示され、来場者は20世紀の巨匠の作品を一堂に見ることが出る。   パトリス・ド・ラ・ペリール

 

 

ユニベール・デ・ザール誌 2003年6月号

 

 芸術作品は観賞する人を想定している。誰にも見られずにアトリエの片隅に捨て置かれる物ではない。芸術作品が生きるとは、見られ感動される事であろう。 ミッシェル・アンリはエゴイストではない。彼が感動し、見たものを静かに詩的に表現する。サンレミにあるジュエンヌ美術館のエステルギャラリーを訪れる者は、ミッシェル・アンリの作品がバランスよく展示されているのに出会うことだろう。純粋な線の美しさ、透明感と輝きのある赤、輝く部分を引き立たせるブラウンなど、その繊細で卓越した画家の才能が現実世界をミッシェル・アンリの世界へと変貌させる。サクランボ、コクリコやパリの風景などは、私たちにとっては日常的な物であり、特筆する程ではないが、これらのオブジェがミッシェル・アンリによって優美な絵画世界へ仕上げる。透明な花瓶の中の花束は、しばしば窓辺に置かれ、ベニスの教会やノートルダムを背景に描かれ、魔法のように美しい世界を創り出す。ミッシェル・アンリのクリスタルの透明感、ブーケの軽やかさや建物の力強いデッサン力に見られる才能がしばしば誉めそやされるし、それは否定できない。確かにそうであろう。しかし、私たちは、現実の中にあるシンプルでしかも本質的な事物に対する画家の賛嘆と情熱も同時に分かち合いたい。         パトリス・ド・ラ・ペリエール

 

 

ユニヴェール・デ・ザール誌 2001年3月号

 

ミッシェル・アンリの絵画は特別な風合いがある。彼は独創的な絵画形式を作り出した。それぞれの絵画の中で支配色の果たす役割が大きい。赤とか青の基調になる色が、歌い上げられ、画家を私たちが満足いくまで、その色調の世界を漂わせる。ミッシェル・アンリの天性の才能は、確かな美学に基づいた装飾性がある。それぞれの、ボブジェ、花瓶、フルーツなどが前景に配されている。これらの身近で、親しい見やすいオブジェはシンプルで画面に彩りを添え、構成の要素となり、遠くを漂った視線がいつでも戻ってこれる場所でもある。

ミッシェル・アンリの確かな才能は、花を描く時にひときは輝きをます。ミッシェル・アンリがキャンバスに登場させる花々は、やさしい美しさ、優美さを備えている。その並外れた力量で、安らぎと一瞬のはかなさとがひそやかなやさしさを花から感じさる。ミッシェル・アンリは私たちを彼のイメージの世界へ導く。けれども、私たちの日常からそんなに遠くへ、連れて行くわけではない。現実の世界より、ほんの少し空気が澄み、オブジェが軽やかで、遥かなロマンチックな冒険に満ちた旅へと私たちの視線が旅立つそんな空間がミッシェル・アンリが私達を導く世界だ。

 

 

 ユニヴェール・デ・ザール誌2000年夏号 

創造する事は、印象をシンボルと色彩で魂を込めて表現する事だ。 

上記は終戦直後、パリ国立高等美術学校を卒業したばかりのミッシェル・アンリの言葉だ。  

画家グリュベール(Gruber)、の影響を受けて、仲間達が皆、悲惨主義(mizerabiliseme)に同調する頃、ミッシェル・アンリは<どうして幸福であることを恥じる必要があるのだろうか>と、微笑みを浮かべながら、時代の寵児悲惨主義への反抗を宣言した。ミッシェル・アンリ芸術は幸福と協調の為の戦いとも言えよう。色彩と生命力に溢れた、彼の燃え上がるような花々は、その旗印とも言えよう。その上、カザ・ベラスケスへの留学で身に着けた雄大な構成力によってブーケの美しさはさらに際立ってきた。ミッシェル・アンリの静物画は人生とやさしさのレッスンのようで、惜しむことなく絵の具をつぎ込み、色彩とマチエールを豊かにしてる。ルージュ(赤)が思い切り爆発し、花の生命力を描き尽す。ルビー色、鮮やかなローズ色、鮮やかな赤(ヴァーミリオン)が舞い踊り、世界で最も美しい都市を飾り立てる。その街の美しさも、咲き誇る生命力溢れる花々に比べると、まだ控えめに見える。自然の賛美者ミッシェル・アンリはパリやヴェニスをキャンバスの後景に退けて、人間の造形は一厘のコクリコの美しさにも届かない事を思い出させる。ここでは、美しさは私達のすぐ近くに潜んでいる、最もシンプルな形で、最も表現的にそして、最も儚く。なぜなら、もしミッシェル・アンリが花の圧倒的な美しさを描くとすれば、それは、また、花の褪せやすさも知っているからだ。そのブーケは、まだ数時間、私達の目を楽しませてくれるだけで、すぐに透明な花瓶の中で枯れてしまう。キャンヴァスの向こう側に、目を向けた時、ミッシェル・アンリの絵画には甘美さとほろ苦さが同居しているのが解る。その、コクリコやバラのブーケからロンサールの詩が聞こえてくるようだ。

<愛らしい乙女よ、みずみずしい若さに満ちた乙女よ、さあ青春の果実を摘み尽くせ、この花のように老いがお前の美しさを取り上げに来る前に>

 

 

 

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