フランスの絵画の巨匠画家ミッシェル・アンリとの出会い=花を描く幸福の画家

フランスの絵画の巨匠画家ミッシェル・アンリとの出会い=花を描く幸福の画家

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1993年初めてミッシェル・アンリと会った。ギャルリー亜出果は小野田セメント(現太平洋セメント)のカレンダーの制作を請け負っていた。翌年1994年のカレンダーの画家を探しに、小野田セメントの担当者とパリにい行った。数人の画家と会った。知り合いの女画商のCさんの紹介でミッシェル・アンリのアトリエに行った。

 

ミッシェル・アンリのアトリエはパリの15区にあった。戦前はマルク・シャガールが使っていたアトリエだが、ミッシェル・アンリが引き継いだのだ。1991年第1次湾岸戦争が起こり、バブル経済がぶっ飛んだとは言えまだ、景気の良い時代だった。ミッシェル・アンリは、パリのエリゼ宮添いのマチニョン街の高級画廊の画家で日本では、マルク・エステルという元外交官の画商が大丸百貨店を中心に販売していた。

 

有名な画家に会うので私も緊張していた。画商のC女史にの後ろに隠れるように、して彼のアトリエに入った。C女史は、彼に私を紹介した後、彼と暫く世間話をして、私にも話に加わるように、目配せをするので私も会話に加わった。

その内、ミッシェル・アンリが私になぜそのなにフランス語が出来るのかなど、私の事を聞いてくるので、南仏のモンペリエ大学の頃の話とかパリ大学で社会学の修士論文を書いていた頃の話などすると次第に嬉しそうな顔になった。彼の絵画をどう思うかと聞かれたので、好きだと答えた。大作家などで、評論がましい事をいうのは差し控えて<貴方の絵画を見ている時は幸福感を感じる>と伝えとた。

雰囲気が和んで、ミッシェル・アンリが私を気に入ったのを見定めたC女史は、小野田セメントのカレンダーの話をするようにと、ようやく本題を切り出した。小野田セメントの担当者は、待ちくたびれていたので、ほっとした表情をした。私は短く、1994年の小野田セメントのカレンダーのミッシェル・アンリの絵画を使いたい旨を伝えて、ミッシェル・アンリのアトリエを後にした。

日本に帰ってどの作家にするか、小野田セメントと会議をした結果ミッシェル・アンリが第一候補になった。他の画家よりかなり高額だが、その頃はまだバブル経済の余波で小野田セメントもたっぷり予算をもっていた。その後2週間程して、C女史からOKの返事が届いた。

 

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