パリの版元画商から大量のミッシェル・アンリのオリジナル版画(シルクスクリーン)を購入した訳は?

パリの版元画商から大量のミッシェル・アンリのオリジナル版画(シルクスクリーン)を購入した訳は?

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 ギャルリー亜出果がパリの画商で版元のエドモンド・ニューマン氏から大量のオリジナル版画を買ったのはミッシェル・アンリの日本人の友人で大金餅のN姉妹の紹介だった。

写真後方左からミッシェル・アンリの隣がエドモンド・ニューマン氏

前列はミッシェル・アンリとアンドレ・ブラジリエのパリの画廊エチエンヌ・サシー氏、デビ夫人とニューマン氏の相棒のフィリップ氏↓

 デビ夫人、ミッシェル・アンリ と画商のエチエンヌ・サシーとエドモンド・ニューマン

N姉弟は、お父さんの莫大な遺産の一部の赤坂の大きなビルの中に住んでいた。彼等はパリのモンテーニュ通り(随分お金持ちのアパマンがあり1~2階はシャネル、ディオール、アルマーニ、フェンディーなど多くのブランドの本社やショールームがある)にも豪華なアパルトマンを所有し住んでいた。ニューヨークにも住居を所有していたらしい。彼等は一生働く事は無く、世界中の友人宅のパーティーに招待されて騒いだり、自分達も招待したりして一生過ごした。フランスのシラク大統領夫妻とも懇意だったので、フランスのオペラ座だかベルサイユ宮殿の修復の時には、数十億円を寄付したらしい。

 

写真中央前列ベルナデット・シラク大統領夫人と隣がミッシェル・アンリ↓

シラク大統領夫人とミッシェル・アンリ

 

ミッシェル・アンリもシラク大統領夫妻とは懇意なので、シラク大統領夫妻の紹介でミッシェル・アンリと知り合ったのかもしれない。ミッシェル・アンリのパリの画廊のあったマチニョン通りは上述のモンテーニュ通りと並行する高級画廊街で、大統領官邸のすぐ近くにあったので、シラク大統領夫人はミッシェル・アンリの展示会はよくも見に来ていた。

 

サローン・ドートンヌでのミッシェル・アンリ左とジャック・シラクフランス共和国大統領→

 ミッシェル・アンリとジャック・シラク元フランス大統領

その内私もN姉弟と知り合いになって家に遊び行くようになった。その内に彼等のパリのアパルトマンの隣人がミッシェル・アンリの版画を沢山もっているから買ったらどうかと言い出した。

 パリモンテーニュ通りのアルマーニのショールーム↓

パリモンテーニュ通リのアルマーニのショールーム

私は2005年にパリに行った時にモンテーニュ通リのN姉弟の隣人を訪ねた。その時、姉弟はパリにはいなかった。彼は身長が2メートル近い長身のエドモンド・ニューマンと言う名前で、ミッシェル・アンリのオリジナル版画(シルクスクリーン)を制作販売した人だ。フィリップという相棒と一緒に住んでいた。

 

ミッシェルアンリ オリジナル版画フランスの四季 お試しレンタルページ↓

 ミッシェルアンリフランスの四季シリーズのバナー

彼等は1985年~1986年に掛けて<フランスの四季>4部作、<パリシリーズ>4部作、<アジサイのベール>、<赤いインスピレーション>、<モンテカルロ>、<ベニスのラグーン>、<モンマルトル><ベニスのセントジョルジュ教会>、<黄金色のベニス>、<リビエラ>、<プロヴァンスの陽光>、<ブルガンディーのピクニック>合計18作を制作した。殆どが300部限定でEAeprouve de l’artiste=作家保存版)とHChors du commerce=工房保存版)も含めると7000部程になった。

 

ミッシェル・アンリ オリジナル版画 ベニスのラグーン↓

 

ニューマン氏は全作品の内5000部程を日本のアメリカンアートを中心に高値でオリジナルシルクスクリーンを販売しているグループ会社に売った。ミッシェル・アンリはその頃、パリにも支店のあるアメリカのフィンドレー画廊と契約して毎年アメリカに行っていたので、ニューマン氏はミッシェル・アンリをアメリカでヒットしている画家として、日本のアメリカンアートの会社に売り込んだらしい。ミッシェル・アンリがフィンドレー画廊と契約していたので、彼はアメリカには売る事ができなかった。

 

ミッシェル・アンリ オリジナル版画 モンテカルロ↓

 

ところが、日本のアメリカンアート系の会社は、売り方がキャッチセールスと非難されると同時に制作部数などをごまかしていたのがマスコミに叩かれて、90年代半ばには大部分の会社が消滅してしまった。もちろん、ミッシェル・アンリの版画は部数も正確でEAHCもナンバリングされて正しく管理されていた。日本でミッシェル・アンリの版画を販売する会社がなくなったので、ニューマン氏は、制作したミッシェル・アンリのオリジナル版画の残り2000枚程をスイスの空港内の倉庫に積み上げられたままにしていた。

 

ミッシェル・アンリ オリジナル版画 赤いインスピレーション↓

私は1992年にレイモン・ペイネの版元のミュレ氏が他界した際、レイモン・ペイネのオリジナル版画を5000枚程購入し、その借金が終わった頃には、ミッシェル・アンリのオリジナル版画を16作(オリジナルシルクスクリーン10作、オリジナルリトグラフ6作、全て作家直筆サインと限定部数入り)制作した為、ニューマン氏がスイスに残していた2000枚のミッシェル・アンリのオリジナル版画をすべて購入する資金がなかった。ニューマン氏と話し合い1000枚を購入し、弊社とミッシェル・アンリのオリジナル版画を共同制作したパリの画廊が1000枚購入する事となった。

ミッシェル・アンリオリジナル版画 ブルーの窓辺↓

 ミッシェルアンリ オリジナル版画 ブルーの窓辺

この購入によって弊社パリの画廊が共同版元となって制作した17作とパリの版元ニューマン氏が制作した18作合計35作品とミッシェル・アンリが所有していたその他の版画も買い求め4000部以上のミッシェル・アンリの版画を私の手元に集めた。その後15年間で2500部は完売したが、弊社は現在も1500部程のミッシェル・アンリのオリジナル版画を所有している。ミッシェル・アンリのオリジナル版画のレパートリーと収蔵数では弊社が世界一だと思う。

ミッシェル・アンリ オリジナル版画 5本のバラ↓

 

現在は百貨店や画廊、通販会社に卸すと同時に弊社のECサイトでも販売している。ご興味のある方は弊社のサイトのミッシェル・アンリの作品ページをご参照願いたい。

 

 

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