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フランスの画家は神だ

フランスの画家は神だ

  油彩画の重要な要素は、画家の意図、構図、デッサン、色彩、タッチ、マチエール。この6要素は、絵画のジャンル(具象、抽象、風景、人物、生物)を問わず大切になってくる。日本の画家が重要視する要素とフランスの画家が重要視する要素は異なる。 此処では、画家の意図の話をしよう。フランスのプロの画家が描くときは、まずは画家の意図がある。つまり、どんな絵画を描きたいかが、第一にくる。この部分は画家のインスピレーションに係る。その画家の技量より才能とか画家の教養・イマジネーションの力が働く部分だろう。もちろん、その意図を実現する画家としての力量(デッサン力、色彩の構成力…など)は不可欠だし、その技量に対する自信があってはじめて、イメージでききる事もまた事実だが。どんな絵画を描くかというのは、主題とか描く対象とか表現したい事とかそういう事ではなくて、この絵画をどのような絵画にするつもりかという事だ。当然、主題とか表現したい事とか描く対象も考慮に入れながら、その絵画の全体像をイメージするのだ。 その発想は画家により、またその絵画により異なる。たとえば、明るい雰囲気のブーケを描こうと思う。そこから、画家のインスピレーションが働く。それを、どう描き、どのように見る人に理解させるか、また、楽しませるか、また、ショックを与えるかと考える。わかりづらいかも知れないが、それが画家のその絵画を描く意図だ。そこには、豊なイマジネーションが必要だ。日本人の評論家はよく、円熟した画家の境地などと言う。画家の鋭い眼光が捕らえたなどと意味の無い事をいう。絵画からその画家の人生観とか、感情を読み取ろうとする。 そして絵画の評論をしないで、画家の伝記を書く。フランスの画家は神だ。自分の目の前のキャンバスに自分の世界を創る。それは、自分の人生観とか感情と密接に絡み合いながらも、自分とは違う世界を作る。それが、画家の意図だ。だから、フランスの画家は画家が描いた絵画と職人の絵画は一目で区別がつくらしい。画家の描いた絵画には、明確な意図が見える。職人はただ描くだけだ。たとえ、職人の描いた絵画が、良くできていて、円熟した境地にあったり、抒情性があったとしても、そこからは画家の意図が読み取れない。 だから、フランス人のプロ画家が他の画家に師事して、同じような絵画を描くことはあり得ない。なぜなら、自分の意図をキャンバスの上に実現するのが、神なる画家の仕事だ。他人の技法は学んでも、意図とインスピレーションは真似できない。他の画家の意図を自分のキャンバスに実現するとすれば、それはもう画家ではなく職人の仕事だ。別に職人が悪いわけではない、立派な職業だし。立派な職人が様々な産業を支えている。でも、フランス人の感覚では、画家は職人ではない。日本人の描く絵画がフランスでほとんど評価されないのは、まず、そのへんの問題ではないだろうか。 職人の作る物は唯きれいであればいいが絵画は違う。日本画の画家が描く桜も京都のお寺も富士山もとりあえずきれいだったりするが、みんな同じだ。フランス人の画家から見れば、彼らは画家では無く絵画職人なのだろう。また彼らの描く桜、富士山、神社仏閣が日本人に美しく見えるとすれば、それは画家の力というより、伝統の力だろう。 日本人の画家のグループが良くフランスのサロンに出したり、フランスでグループ展をしたりする。フランス人は社交性があり、日本人には好意を敬意を持っているので、それなりに愛想良く対応するが、絵画の本質はよく捕えている。殆どアマチアの絵画だと言う。弊社の画家Mの来日展をある地方都市の百貨店で開催した。もちろんMも会場に行った。ちょうど、同じ百貨店でフランス人のほかの画家が展示会をしていた。Mはフランスでも有名なので、その画家がやってきて、Mに自分の絵画を見て欲しいと言った。Mは見に行って、愛想良く対応し「又、どこかでお会いできると嬉しい。」とあたりさわりの無いことを言っていた。 後で、Mがこっそり言うには、「職人の絵画だ。どの絵画にも画家の意図が見えない。だだ描いているだけだ。それにしてもひどい。もしかしたら自分で描かないでプロの職人にやらしているかもしれない。」と感想を漏らしていた。もちろん、これは、実際に調べた訳ではないし、証拠があるわけでもない。Mがプロの画家としての意見をこっそり私に述べただけだ。プロの職人とプロの画家は違う。 映画なども、映画監督は意図を持っている。けれども、いくら経験が長くて、技術が優れていても、監督以外の映画製作に関わる人たちはプロの職人だ。映画監督の意図を実現するプロの職人集団だ。日本の映画はフランスでも人気が高い。北野武、黒沢明、小津安二郎、アニメの宮崎駿などは圧倒的な人気があり尊敬を集めている。その他でも、溝口健二、小栗康平、高橋伴明などの質の高い日本映画も良く理解され、ファンが多い。どの映画作品を見ても、その映画監督のオリジナリティとその監督の映画らしさにあふれている。つまり、それぞれの映画監督の意図がくっきりと作品浮かび上がる。その作品だけが与えうる感動がある。他の作品には決してない感動がそれぞれの作品にある。 画家のは自分の意図に従い、キャンヴァスの上に自分の世界を実現するように、映画監督も小説家も芸術家はすべて彼らの意図に従い作品を創造する唯一絶対の孤独な神だ。彼らの作品が、人々に感動を与えた瞬間から神達は孤独から解放され、人間との関わりを回復する。  

フランスの画家は神だ

  油彩画の重要な要素は、画家の意図、構図、デッサン、色彩、タッチ、マチエール。この6要素は、絵画のジャンル(具象、抽象、風景、人物、生物)を問わず大切になってくる。日本の画家が重要視する要素とフランスの画家が重要視する要素は異なる。 此処では、画家の意図の話をしよう。フランスのプロの画家が描くときは、まずは画家の意図がある。つまり、どんな絵画を描きたいかが、第一にくる。この部分は画家のインスピレーションに係る。その画家の技量より才能とか画家の教養・イマジネーションの力が働く部分だろう。もちろん、その意図を実現する画家としての力量(デッサン力、色彩の構成力…など)は不可欠だし、その技量に対する自信があってはじめて、イメージでききる事もまた事実だが。どんな絵画を描くかというのは、主題とか描く対象とか表現したい事とかそういう事ではなくて、この絵画をどのような絵画にするつもりかという事だ。当然、主題とか表現したい事とか描く対象も考慮に入れながら、その絵画の全体像をイメージするのだ。 その発想は画家により、またその絵画により異なる。たとえば、明るい雰囲気のブーケを描こうと思う。そこから、画家のインスピレーションが働く。それを、どう描き、どのように見る人に理解させるか、また、楽しませるか、また、ショックを与えるかと考える。わかりづらいかも知れないが、それが画家のその絵画を描く意図だ。そこには、豊なイマジネーションが必要だ。日本人の評論家はよく、円熟した画家の境地などと言う。画家の鋭い眼光が捕らえたなどと意味の無い事をいう。絵画からその画家の人生観とか、感情を読み取ろうとする。 そして絵画の評論をしないで、画家の伝記を書く。フランスの画家は神だ。自分の目の前のキャンバスに自分の世界を創る。それは、自分の人生観とか感情と密接に絡み合いながらも、自分とは違う世界を作る。それが、画家の意図だ。だから、フランスの画家は画家が描いた絵画と職人の絵画は一目で区別がつくらしい。画家の描いた絵画には、明確な意図が見える。職人はただ描くだけだ。たとえ、職人の描いた絵画が、良くできていて、円熟した境地にあったり、抒情性があったとしても、そこからは画家の意図が読み取れない。 だから、フランス人のプロ画家が他の画家に師事して、同じような絵画を描くことはあり得ない。なぜなら、自分の意図をキャンバスの上に実現するのが、神なる画家の仕事だ。他人の技法は学んでも、意図とインスピレーションは真似できない。他の画家の意図を自分のキャンバスに実現するとすれば、それはもう画家ではなく職人の仕事だ。別に職人が悪いわけではない、立派な職業だし。立派な職人が様々な産業を支えている。でも、フランス人の感覚では、画家は職人ではない。日本人の描く絵画がフランスでほとんど評価されないのは、まず、そのへんの問題ではないだろうか。 職人の作る物は唯きれいであればいいが絵画は違う。日本画の画家が描く桜も京都のお寺も富士山もとりあえずきれいだったりするが、みんな同じだ。フランス人の画家から見れば、彼らは画家では無く絵画職人なのだろう。また彼らの描く桜、富士山、神社仏閣が日本人に美しく見えるとすれば、それは画家の力というより、伝統の力だろう。 日本人の画家のグループが良くフランスのサロンに出したり、フランスでグループ展をしたりする。フランス人は社交性があり、日本人には好意を敬意を持っているので、それなりに愛想良く対応するが、絵画の本質はよく捕えている。殆どアマチアの絵画だと言う。弊社の画家Mの来日展をある地方都市の百貨店で開催した。もちろんMも会場に行った。ちょうど、同じ百貨店でフランス人のほかの画家が展示会をしていた。Mはフランスでも有名なので、その画家がやってきて、Mに自分の絵画を見て欲しいと言った。Mは見に行って、愛想良く対応し「又、どこかでお会いできると嬉しい。」とあたりさわりの無いことを言っていた。 後で、Mがこっそり言うには、「職人の絵画だ。どの絵画にも画家の意図が見えない。だだ描いているだけだ。それにしてもひどい。もしかしたら自分で描かないでプロの職人にやらしているかもしれない。」と感想を漏らしていた。もちろん、これは、実際に調べた訳ではないし、証拠があるわけでもない。Mがプロの画家としての意見をこっそり私に述べただけだ。プロの職人とプロの画家は違う。 映画なども、映画監督は意図を持っている。けれども、いくら経験が長くて、技術が優れていても、監督以外の映画製作に関わる人たちはプロの職人だ。映画監督の意図を実現するプロの職人集団だ。日本の映画はフランスでも人気が高い。北野武、黒沢明、小津安二郎、アニメの宮崎駿などは圧倒的な人気があり尊敬を集めている。その他でも、溝口健二、小栗康平、高橋伴明などの質の高い日本映画も良く理解され、ファンが多い。どの映画作品を見ても、その映画監督のオリジナリティとその監督の映画らしさにあふれている。つまり、それぞれの映画監督の意図がくっきりと作品浮かび上がる。その作品だけが与えうる感動がある。他の作品には決してない感動がそれぞれの作品にある。 画家のは自分の意図に従い、キャンヴァスの上に自分の世界を実現するように、映画監督も小説家も芸術家はすべて彼らの意図に従い作品を創造する唯一絶対の孤独な神だ。彼らの作品が、人々に感動を与えた瞬間から神達は孤独から解放され、人間との関わりを回復する。  

芸術家と職人

芸術家と職人

   フランスは芸術の国。ドイツはマイスター(職人の師匠)の国だ。メルセデス・ベンツやBMWなどの高級車はドイツのマイスターの高度な職人技に支えられている。彼らは顧客の厳しい要求に応えながら、均一で質の高い製品を作り続ける。磁器のマイセン、カメラのライカなども同じくマイスターから弟子へと受け継がれていく質の高い職人の技が生み出していく。中世のギルド(徒弟制度)以来のドイツの良き伝統がそこに、息づいている。フランスは、フランス革命を起こした国だ。伝統を否定して、新しい物を生み出す。また、個人主義の国だ。つまり、伝統も他人も関係ない。自分が作りたい物を作る。芸術家の第一の使命は、オリジナリティのある作品を作る事だ。他の人を同じ事をしてはならない。顧客など、関係ない。過去と現在の全ての物を、栄養にして自分の世界を作り出す。もちろん、技術とテクニックは職人並みのまた、それ以上のレベルを目指すが、まずはオリジナリティを確立する事が芸術家の第一条件だ。   私がまだパリで学生の頃に、従姉が亭主と一緒にフランスに遊びに来た。いつもは月極めの格安定期でメトロにしか乗らない私だが、従姉夫妻の金でここぞとばかりタクシーにのった。従姉夫妻は西駅から列車に乗る予定になっていた。久しぶりにタクシーにのった私は、すっかり旦那モードになって、列車の時間があるから急いで10時までに、駅に着けるように命令した。擦り切れたズボンとよれよれのシャツを着た20代の若造に命令されて、運転手は一瞬の内に逆上した。<一方通行もあるし、渋滞だってあるかも知れない。その時間に到着できる保証は無い・・・etc>と幕したてた。それでも怒りは収まらず、車を止めて立ち上がり、車の外にでてタクシーの屋根に手を掛けて怒り続けた。先方は興奮して早口のうえ、かなり俗語が混じっているので、何を言っているかわからない。私は、モリエールの舞台でも見るような、気持ちで見ていた。運転手は言いたい事を言い尽くし興奮が鎮まると、車の中に入って運転席に付いた。眼鏡が見当たらない。しきりに眼鏡を探し始めた。私の従姉は冷静な人間で、何処に眼鏡があるか知っていた。運転手がさっき、タクシーの外に出た時、もっと怒り発散させるため、眼鏡を外してタクシーの屋根に置いたらしい。私に言われて、運転手が再び車の外にでると、案の定、眼鏡はタクシーの屋根に乗っかっていた。結局、彼らは列車に乗り遅れて、次の列車までの2時間ほど駅の構内をぶらぶらした。私も時間つぶしに付き合った。お陰で、只で昼飯にありつけた。これが、ドイツのタクシーとなると快適だ。ある時、成田からパリ行きのエアー・フランスに乗った。ところが嵐のため、パリのシャルル・ド・ゴール空港に着陸できなくて、ドイツのフランクフルトに不時着した。乗客には、高級ホテルのシェラトンの部屋が無料で与えられ、翌朝パリ出発となった。翌朝、ぎりぎりの時間まで寝ていた私は、大慌てで荷物をまとめ、髭もそらずにタクシーに飛び乗った。タクシーの運転手に事情を話すと、運転手は無言でうなずくと、猛スピードで走り出した。なにしろ、ドイツのアウトバーンは制限速度無しだ。10分程で空港に着き、運転手は満足そうに、時計を指し示した。ドイツのタクシードライバーはやはり、立派なマイスターだ。客の注文に高いれレベルで忠実に応える。これが、芸術家気質と職人気質の違いだ。芸術家は自分のやりたいようにやる、芸術家に口出ししてもろくな事にならない。芸術家はタクシーの運転手向きではない。    ドイツの画家は仕事がしやすい。こういった感じで画いてくれと頼むと忠実に、同じような絵画を画いてくれる。良く売れる雰囲気の絵画を、無限に画いてくれる。勿論、技術も高いし、均一な良い作品を画いてくれる。画商にはとてもありがたい。フランスの画家はそうは、いかない。フランス人は社交性があって、話していても楽しいし色々心使いもしてくれる。しかし、絵画の制作に関しては、私の注文に従わない。自分が画きたいように画く。勿論、彼らもプロの画家なので、顧客の嗜好も良くわかる。出来るだけ私の注文に近づけようとする。しかし、決して私の注文どうりの絵画は画かない。彼らは、私の注文を良く理解して、そこから、彼らなりの結論を引き出す。だから、まったく同じ絵画は画かないが、上手に誘導すれば、売れ筋の絵画の方向に画家を引っ張っていく事は出来る。つまり、ドイツの画家はある意味で伝統に根ざした立派なマイスターであり、フランスの画家は一流から3流まで芸術家だ。どちらに軍配を上げるかは、各自の判断だ。    弊社の契約作家で、特に難しいのはやはり天才ミッシェル・アンリだ。ミッシェル・アンリは、真摯でプロ意識も高く、ビジネスにも理解が深いい。けれど、注文どうりの絵画を画かない。いくら、頼んでも、脅してもだめだ。これと、同じ雰囲気の作品を10枚画いてくれと言うと。<ノートにメモッタから、安心しろ。>と言う。それから、半年程して、ミッシェル・アンリから新作が10点届く。私が頼んだような作品は1点も無い。ただ、どの作品も独創的で素晴らしい作品だ。今までに無い雰囲気の作品が半分ぐらいは何時もある。もちろん、たまに、こけている絵画もある。つまり、80歳になっても、日々新しい絵画を模索している。パリで知り合いの美術評論化とミッシェル・アンリと三人で食事をした。そこでも、私はミッシェル・アンリに絵画の注文をつけた。美術評論家は<武田さんの言うとうり画けば売れるんだから、そのとうり画けよ、ミッシェル>と加勢してくれる。ミッシェル・アンリは<私は、武田さんの言うとおり描こうとするんでだが、この手が勝手に動いて別の絵画を描くんだ>という。多分本当だろう。象徴的な意味で。ミッシェル・アンリは非常に明晰な人で、人の言葉に良く耳を傾け、優れた理解力のある人だ。そして、私のビジネスにも援助を惜しまない。だから、私の言っている意味も状況も良く理解しているはずだ。また、出来れば、私の注文に応えたいとも思っている事だろう。ところが、彼の才能とイマジネーションが、それを許さないのだろう。ミッシェル・アンリは卓越した絵画制作能力とテクニックを持ち、また、マーケットも意識している。けれども、同時に内部から沸き出るイマジネーションの泉、インスピレーションに導かれて描く。結局、芸術家とくに、ミッシェル・アンリのように、天才的な画家に注文をつけても無駄だ。その、才能が生み出す果実を、尊敬しながら味う以外方法はない。それでも、私はミッシェル・アンリにも、注文をつける。それは、私の注文が頭の隅にこびりついて、インスピレーションに少しだけ影響を与えてくれるかも知れないと淡い希望をいだくからだ。  余談だが、ミッシェル・アンリと同窓で20歳でいきなりフランスで有名になり、日本でも有名に成った画家は、20歳から死ぬまで同じ絵画を描き続けた。ずいぶん金持ちになってヘリコプターまで持っていたそうだが、退屈な人生ではなかったか。パリ国立美術学校でミッシェル・アンリの隣のクラスだった画家も日本ではミッシェル・アンリより有名だが、20年前と同じ絵画を描き続けている。彼らは、画商にとってはとても良い立派なマイスターだ。私はフランスの芸術家達に手を焼きながら、結構楽しく仕事をしている。  

芸術家と職人

   フランスは芸術の国。ドイツはマイスター(職人の師匠)の国だ。メルセデス・ベンツやBMWなどの高級車はドイツのマイスターの高度な職人技に支えられている。彼らは顧客の厳しい要求に応えながら、均一で質の高い製品を作り続ける。磁器のマイセン、カメラのライカなども同じくマイスターから弟子へと受け継がれていく質の高い職人の技が生み出していく。中世のギルド(徒弟制度)以来のドイツの良き伝統がそこに、息づいている。フランスは、フランス革命を起こした国だ。伝統を否定して、新しい物を生み出す。また、個人主義の国だ。つまり、伝統も他人も関係ない。自分が作りたい物を作る。芸術家の第一の使命は、オリジナリティのある作品を作る事だ。他の人を同じ事をしてはならない。顧客など、関係ない。過去と現在の全ての物を、栄養にして自分の世界を作り出す。もちろん、技術とテクニックは職人並みのまた、それ以上のレベルを目指すが、まずはオリジナリティを確立する事が芸術家の第一条件だ。   私がまだパリで学生の頃に、従姉が亭主と一緒にフランスに遊びに来た。いつもは月極めの格安定期でメトロにしか乗らない私だが、従姉夫妻の金でここぞとばかりタクシーにのった。従姉夫妻は西駅から列車に乗る予定になっていた。久しぶりにタクシーにのった私は、すっかり旦那モードになって、列車の時間があるから急いで10時までに、駅に着けるように命令した。擦り切れたズボンとよれよれのシャツを着た20代の若造に命令されて、運転手は一瞬の内に逆上した。<一方通行もあるし、渋滞だってあるかも知れない。その時間に到着できる保証は無い・・・etc>と幕したてた。それでも怒りは収まらず、車を止めて立ち上がり、車の外にでてタクシーの屋根に手を掛けて怒り続けた。先方は興奮して早口のうえ、かなり俗語が混じっているので、何を言っているかわからない。私は、モリエールの舞台でも見るような、気持ちで見ていた。運転手は言いたい事を言い尽くし興奮が鎮まると、車の中に入って運転席に付いた。眼鏡が見当たらない。しきりに眼鏡を探し始めた。私の従姉は冷静な人間で、何処に眼鏡があるか知っていた。運転手がさっき、タクシーの外に出た時、もっと怒り発散させるため、眼鏡を外してタクシーの屋根に置いたらしい。私に言われて、運転手が再び車の外にでると、案の定、眼鏡はタクシーの屋根に乗っかっていた。結局、彼らは列車に乗り遅れて、次の列車までの2時間ほど駅の構内をぶらぶらした。私も時間つぶしに付き合った。お陰で、只で昼飯にありつけた。これが、ドイツのタクシーとなると快適だ。ある時、成田からパリ行きのエアー・フランスに乗った。ところが嵐のため、パリのシャルル・ド・ゴール空港に着陸できなくて、ドイツのフランクフルトに不時着した。乗客には、高級ホテルのシェラトンの部屋が無料で与えられ、翌朝パリ出発となった。翌朝、ぎりぎりの時間まで寝ていた私は、大慌てで荷物をまとめ、髭もそらずにタクシーに飛び乗った。タクシーの運転手に事情を話すと、運転手は無言でうなずくと、猛スピードで走り出した。なにしろ、ドイツのアウトバーンは制限速度無しだ。10分程で空港に着き、運転手は満足そうに、時計を指し示した。ドイツのタクシードライバーはやはり、立派なマイスターだ。客の注文に高いれレベルで忠実に応える。これが、芸術家気質と職人気質の違いだ。芸術家は自分のやりたいようにやる、芸術家に口出ししてもろくな事にならない。芸術家はタクシーの運転手向きではない。    ドイツの画家は仕事がしやすい。こういった感じで画いてくれと頼むと忠実に、同じような絵画を画いてくれる。良く売れる雰囲気の絵画を、無限に画いてくれる。勿論、技術も高いし、均一な良い作品を画いてくれる。画商にはとてもありがたい。フランスの画家はそうは、いかない。フランス人は社交性があって、話していても楽しいし色々心使いもしてくれる。しかし、絵画の制作に関しては、私の注文に従わない。自分が画きたいように画く。勿論、彼らもプロの画家なので、顧客の嗜好も良くわかる。出来るだけ私の注文に近づけようとする。しかし、決して私の注文どうりの絵画は画かない。彼らは、私の注文を良く理解して、そこから、彼らなりの結論を引き出す。だから、まったく同じ絵画は画かないが、上手に誘導すれば、売れ筋の絵画の方向に画家を引っ張っていく事は出来る。つまり、ドイツの画家はある意味で伝統に根ざした立派なマイスターであり、フランスの画家は一流から3流まで芸術家だ。どちらに軍配を上げるかは、各自の判断だ。    弊社の契約作家で、特に難しいのはやはり天才ミッシェル・アンリだ。ミッシェル・アンリは、真摯でプロ意識も高く、ビジネスにも理解が深いい。けれど、注文どうりの絵画を画かない。いくら、頼んでも、脅してもだめだ。これと、同じ雰囲気の作品を10枚画いてくれと言うと。<ノートにメモッタから、安心しろ。>と言う。それから、半年程して、ミッシェル・アンリから新作が10点届く。私が頼んだような作品は1点も無い。ただ、どの作品も独創的で素晴らしい作品だ。今までに無い雰囲気の作品が半分ぐらいは何時もある。もちろん、たまに、こけている絵画もある。つまり、80歳になっても、日々新しい絵画を模索している。パリで知り合いの美術評論化とミッシェル・アンリと三人で食事をした。そこでも、私はミッシェル・アンリに絵画の注文をつけた。美術評論家は<武田さんの言うとうり画けば売れるんだから、そのとうり画けよ、ミッシェル>と加勢してくれる。ミッシェル・アンリは<私は、武田さんの言うとおり描こうとするんでだが、この手が勝手に動いて別の絵画を描くんだ>という。多分本当だろう。象徴的な意味で。ミッシェル・アンリは非常に明晰な人で、人の言葉に良く耳を傾け、優れた理解力のある人だ。そして、私のビジネスにも援助を惜しまない。だから、私の言っている意味も状況も良く理解しているはずだ。また、出来れば、私の注文に応えたいとも思っている事だろう。ところが、彼の才能とイマジネーションが、それを許さないのだろう。ミッシェル・アンリは卓越した絵画制作能力とテクニックを持ち、また、マーケットも意識している。けれども、同時に内部から沸き出るイマジネーションの泉、インスピレーションに導かれて描く。結局、芸術家とくに、ミッシェル・アンリのように、天才的な画家に注文をつけても無駄だ。その、才能が生み出す果実を、尊敬しながら味う以外方法はない。それでも、私はミッシェル・アンリにも、注文をつける。それは、私の注文が頭の隅にこびりついて、インスピレーションに少しだけ影響を与えてくれるかも知れないと淡い希望をいだくからだ。  余談だが、ミッシェル・アンリと同窓で20歳でいきなりフランスで有名になり、日本でも有名に成った画家は、20歳から死ぬまで同じ絵画を描き続けた。ずいぶん金持ちになってヘリコプターまで持っていたそうだが、退屈な人生ではなかったか。パリ国立美術学校でミッシェル・アンリの隣のクラスだった画家も日本ではミッシェル・アンリより有名だが、20年前と同じ絵画を描き続けている。彼らは、画商にとってはとても良い立派なマイスターだ。私はフランスの芸術家達に手を焼きながら、結構楽しく仕事をしている。  

芸術とお金

芸術とお金

アメリカの小説家が登場人物の女性に「自転車に乗って笑っているよりも、ロールスロイスの中で泣いているほうがいい」と言わせている。私などが、いまだに覚えているのだから、インパクトのある台詞なのだろう。20世紀のアメリカンドリームやアメリカの物質文明の雰囲気を良くて伝えていると思う。 私などは自転車で十分で、心安らかなほうがどんなにいいかと思う。でも人の価値観は多様なので、あえて反論するつもりもない。何百万円も、またはその100倍ものお金を出して、絵画、宝石、車など、を買う人がいる。18世紀以来、富の平等分配とか、私有財産の否定とかがさかんにとなえられたり、共産主義という大掛かりな実験が行われたりした。 それでも、富を平等に分配する仕組みはないし、また、それが本当に必要かどうかもわからない。お金は無いところには全く無いが、有るところにはかなりある。貨幣経済なので、そのお金が社会の中を流れて、社会の成り立ちを支えている。お金を沢山持っている人は、増やす為に投資をしたり、贅沢品を買ったりする。私達絵画商は、お金に余裕のある人たちが日常生活の必需品を買った余りのお金を少し分けて貰い、画家の生活費に当てたり、私たちの生活費に当てる。しかし、画家も画商も大して儲からなくて、随分と成功した人でも豪邸を立てて、別荘1件買った位だろう。 画家も似たような物で、皆細々と生計を立てている。資産家や、儲かる事業で成功した人たちが、余ったお金を少しでも絵画に使って、画家の生計を助けて欲しいと思う。そして、商人も助けて欲しい。絵画に対するお客さまの要求は時に驚くほど欲張りだ。良い作品で、安くて、しかも値上がりを期待し、値上がりしたら転売まで考えている。つまり、絵画はインテリア性と金融性をあわせ持つ商品と考えられているからだ。例えば200万円の家具を買って、20年後に(つまり、20年も散々使った後で)500万円で売りたいと考えたら、その人は頭がおかしいと思われるだろう。でも、絵画の場合は皆さん平気でそんな事を考える。それは、たまにそういう事もあるからだろう。私はお客様に、「インテリアとして、または贅沢品として心行くまで楽しんで下さい。その上で、宝くじの券が1枚付いていると思えばいいですよ。」と言いたい。当たる時もある。私は自分が契約した画家にはほれ込んでいるから、どの画家も今よりもっと有名になり、いつの日にか、今の10倍の金額の画家にしたいと懸命にやっている。私はお客様に「どうぞ、この絵画と一緒に私の夢を買ってください。私と一緒にこの夢にかけましょう。」と言いたい。 多少売り方が強引だったり、作家への評価の説明が誇張されていたりする事があったとしても、勿論そうでないに越して事はないが、そういった事もある意味では顧客サービスかもしれないと思う。勿論、うそはいけない。例えば、贋作とか偽者のサインとかは絶対駄目だ。以前私から、良く絵画を買ってくれたお客さんが「この絵画本当に良いの?有名になるのかな…等々」あまり、ストレートな答えも見つからないような質問を散々して、私の余り答えにもならないような説明を聞いて。「じゃ貰おうか。また、あんたに騙された」といって満足そうな笑顔でお金を払ってくれたことを思い出す。 文化はあまったお金の捨て場所だと思う。有るパーティーで、金融関係でしこたま儲けた人と話をした。彼はフランスの画家の水彩画を買ったが、今だともう少し高く売れるかと聞かれた。私は、「今なら、買った値段より高く売れるが、貴方のように金融でも一杯儲けている人は、物凄く高い時に絵画を買って、その画家の絵画が一文の値内も無くなったらそれでいいですし。もし、買った時より値段が上がったら、潰れそうな画廊に行って騙されたふりをして、安く売ったら言いですよ。」と言った。文化や道楽は、余ったお金を無駄に使う場所なのだ。お金持ちが、そういった文化や道楽を支えているたいして金回りの良くない連中の生活費を払ってやって欲しい。 宝石も旅行もローレックスもブランド品いいかも知れないが、絵画もっと素晴らしい。芸術だから、心を豊かにしてくれる。感性を磨いてくれ、違う世界を見せてくれる。人生の歓び、苦しみ、悲しみの質を高めてくれる。壁に飾った絵画との対話から多くを学ぶだろう、多くの慰め、歓びを得る事だろう。次の世紀に残していく素晴らしい芸術作品を黙々と制作している、才能のある画家たちがいる。彼らの生活を支え、彼らが新しい、想   像力に満ちた作品を、作り出すのに援助を与えて欲しい。皆さんが買ってくれる1枚の絵画が、又は100枚の絵画が未来のピカソを、シャガールを、ゴーギャンを生み出すのだ。皆さんが買われる作品が未来の巨匠の作品かも知れない。私は当社の画家が(全員ではなくとも)の方が、美術史の中に足跡を残して欲しいと思う。現に作品が美術館に収蔵されている作家もいる。 現在例えば10号で数百万円または、数千万円する作家の絵画を見て、しばしば私は当社の作家の方がいいと思う。でも、値段は10分の1とか100分の1だったりする。確かに数億する作家の作品は、時間と空間そして文化、人種、民族の壁を越えて素晴らしいと思う事が殆どだが、数千万円までの作家、特に日本の閉鎖的なマーケットに守られてあまり多くの人の眼に耐えていない作家よりは、やはり当社の作家の方が良いと思うことも多い。  

芸術とお金

アメリカの小説家が登場人物の女性に「自転車に乗って笑っているよりも、ロールスロイスの中で泣いているほうがいい」と言わせている。私などが、いまだに覚えているのだから、インパクトのある台詞なのだろう。20世紀のアメリカンドリームやアメリカの物質文明の雰囲気を良くて伝えていると思う。 私などは自転車で十分で、心安らかなほうがどんなにいいかと思う。でも人の価値観は多様なので、あえて反論するつもりもない。何百万円も、またはその100倍ものお金を出して、絵画、宝石、車など、を買う人がいる。18世紀以来、富の平等分配とか、私有財産の否定とかがさかんにとなえられたり、共産主義という大掛かりな実験が行われたりした。 それでも、富を平等に分配する仕組みはないし、また、それが本当に必要かどうかもわからない。お金は無いところには全く無いが、有るところにはかなりある。貨幣経済なので、そのお金が社会の中を流れて、社会の成り立ちを支えている。お金を沢山持っている人は、増やす為に投資をしたり、贅沢品を買ったりする。私達絵画商は、お金に余裕のある人たちが日常生活の必需品を買った余りのお金を少し分けて貰い、画家の生活費に当てたり、私たちの生活費に当てる。しかし、画家も画商も大して儲からなくて、随分と成功した人でも豪邸を立てて、別荘1件買った位だろう。 画家も似たような物で、皆細々と生計を立てている。資産家や、儲かる事業で成功した人たちが、余ったお金を少しでも絵画に使って、画家の生計を助けて欲しいと思う。そして、商人も助けて欲しい。絵画に対するお客さまの要求は時に驚くほど欲張りだ。良い作品で、安くて、しかも値上がりを期待し、値上がりしたら転売まで考えている。つまり、絵画はインテリア性と金融性をあわせ持つ商品と考えられているからだ。例えば200万円の家具を買って、20年後に(つまり、20年も散々使った後で)500万円で売りたいと考えたら、その人は頭がおかしいと思われるだろう。でも、絵画の場合は皆さん平気でそんな事を考える。それは、たまにそういう事もあるからだろう。私はお客様に、「インテリアとして、または贅沢品として心行くまで楽しんで下さい。その上で、宝くじの券が1枚付いていると思えばいいですよ。」と言いたい。当たる時もある。私は自分が契約した画家にはほれ込んでいるから、どの画家も今よりもっと有名になり、いつの日にか、今の10倍の金額の画家にしたいと懸命にやっている。私はお客様に「どうぞ、この絵画と一緒に私の夢を買ってください。私と一緒にこの夢にかけましょう。」と言いたい。 多少売り方が強引だったり、作家への評価の説明が誇張されていたりする事があったとしても、勿論そうでないに越して事はないが、そういった事もある意味では顧客サービスかもしれないと思う。勿論、うそはいけない。例えば、贋作とか偽者のサインとかは絶対駄目だ。以前私から、良く絵画を買ってくれたお客さんが「この絵画本当に良いの?有名になるのかな…等々」あまり、ストレートな答えも見つからないような質問を散々して、私の余り答えにもならないような説明を聞いて。「じゃ貰おうか。また、あんたに騙された」といって満足そうな笑顔でお金を払ってくれたことを思い出す。 文化はあまったお金の捨て場所だと思う。有るパーティーで、金融関係でしこたま儲けた人と話をした。彼はフランスの画家の水彩画を買ったが、今だともう少し高く売れるかと聞かれた。私は、「今なら、買った値段より高く売れるが、貴方のように金融でも一杯儲けている人は、物凄く高い時に絵画を買って、その画家の絵画が一文の値内も無くなったらそれでいいですし。もし、買った時より値段が上がったら、潰れそうな画廊に行って騙されたふりをして、安く売ったら言いですよ。」と言った。文化や道楽は、余ったお金を無駄に使う場所なのだ。お金持ちが、そういった文化や道楽を支えているたいして金回りの良くない連中の生活費を払ってやって欲しい。 宝石も旅行もローレックスもブランド品いいかも知れないが、絵画もっと素晴らしい。芸術だから、心を豊かにしてくれる。感性を磨いてくれ、違う世界を見せてくれる。人生の歓び、苦しみ、悲しみの質を高めてくれる。壁に飾った絵画との対話から多くを学ぶだろう、多くの慰め、歓びを得る事だろう。次の世紀に残していく素晴らしい芸術作品を黙々と制作している、才能のある画家たちがいる。彼らの生活を支え、彼らが新しい、想   像力に満ちた作品を、作り出すのに援助を与えて欲しい。皆さんが買ってくれる1枚の絵画が、又は100枚の絵画が未来のピカソを、シャガールを、ゴーギャンを生み出すのだ。皆さんが買われる作品が未来の巨匠の作品かも知れない。私は当社の画家が(全員ではなくとも)の方が、美術史の中に足跡を残して欲しいと思う。現に作品が美術館に収蔵されている作家もいる。 現在例えば10号で数百万円または、数千万円する作家の絵画を見て、しばしば私は当社の作家の方がいいと思う。でも、値段は10分の1とか100分の1だったりする。確かに数億する作家の作品は、時間と空間そして文化、人種、民族の壁を越えて素晴らしいと思う事が殆どだが、数千万円までの作家、特に日本の閉鎖的なマーケットに守られてあまり多くの人の眼に耐えていない作家よりは、やはり当社の作家の方が良いと思うことも多い。  

カシニョールとの出会い

カシニョールとの出会い

  ジャン・ピエール・カシニョールはプランスのブランドジバンシー部長の息子で、まあ中位の小坊ちゃん。通称ボザール正式には国立パリ高等美術学校のシャプラン・ミディのクラスで学んだ。アトリエの先輩にミッシェル・アンリがいた。アトリエへ入る試験の時の試験官がミッシェル・アンリで、有名な画家同士にしては珍しく仲が悪くない。 15年以上昔なので、どうして知り合ったのかも忘れてしまったがCT女史という、フランスのオークションの鑑定人と私が仲良くなった。彼女は以前日本の伊藤忠だかと取引があり、日本に好感を持っていた。また、フランス語をわりと流暢に話すちょっと変わった、日本人(私)が気に入ったらしくて、一緒に食事をしたり、家にも招いてくれた。オジェという人物画を描く、物凄く女好きて無鉄砲な画家がいた。そいつがアメリカから戻って来たから組んでそいつで一緒に一儲けしようと持ちかけられた。その頃は、まだ版画が良く売れた時期で、そんな聞いたこともない画家の話など、興味は無く、彼女がカシニョールのお姉さんだか妹だかと仲が良いのでカシニョールを紹介してもらう事にした。当時はビュッフェ、ブラジリエ、カトラン、カシニョールの版画を安く仕入れられれば、それこそ一儲けも二儲けも可能だった。  散々彼女の機嫌を取って、カシニョールの家に連れて行ってもらった。凱旋門から、放射状に出ている通りの一つで、凱旋門から数分の所だ。表札にはJPCとしか書いていない。その日、カシニョールは引越しの準備で急がしかった。まだ、 2人目だか3人目の奥さんの子供が4-5歳でアパルトマンの中をショロチョロしていた。パリにいると、来訪者が多すぎて、ゆっくり子供と遊ぶ暇も無いのでスイスに引っ越す事にしたそうだ。私はその話を鵜呑みにした間抜けだが、他の人は別の意見だ。スイスの方が圧倒的に税金が安く、また、銀行に隠し口座が持てるからだと言う。つまり、カシニョールは随分儲けているそうだ。それはそうに違いない。どちらが正しいのか。日本のように、フランスも本音と建前があるのだろうか。  それはさて置き、私は有りっ丈の知識と、私が知る限りの形容詞を使って彼の版画を褒め上げた。また、ムッシュー・カシニョールを連発した。彼は、すっかり気を良くして私に版画を売ってくれる事になった。小さな電卓を持ってきて、版画の入っているケースを次々に開けて電卓を叩いて見せた。私は日本で買うより安そうな値段の版画で、売れそうなのを10枚程選んで買った。しかし、この値段では一儲けも二儲けもは、できない。せいぜい、日本で業者から買うより少し安いだけだ。作品によっては、日本で買うほうが安いのもある。これは、やはり相当に儲けている。まあ、別れた女房への慰謝料をかなりはらっているらしい。儲けているだけに、先方も慰謝料を吹っかけたことだろう。  CT女史によると、私の態度は理想的だったそうだ。何しろ、私は全身全霊で、ありとあらゆるレトリック(修辞法)を駆使した。カシニョールのアパルトマンをでた後は疲れ果てて放心状態だった。それだけ苦労した割には、大して安くもなくて少々拍子抜けした。まあ、いつかいい事でも有るだろうと思い、彼女にも紹介料を払い、夕食もご馳走してあげた。  その後、品川プリンスホテルの新館がオープンし西武ブループがカシニョールを日本に呼んだ。品川プリンスホテルのステンドグラスを作らせ、その図柄を版画に起し、ノリタケにカシニョールの絵柄を焼き付けた食器まで作らせた。ホテルのオープンに先駆けて展示会もやり、2000万円程売ったらしい。当時としてはたいした金額ではなかった。西武グループは機会ある事にカシニョールの版画や原画を買い、軽井沢プリンスホテルなど以前は全室カシニョールの版画で飾られていた。カシニョールだけでは無く、ビュッフェ、ブラジリエ、カトランなど20世紀後半の巨匠を買い集めたらしい。それらの作品をパリで買い集めた、元オーナー一族の女性はミッシェル・アンリも買ったらしいが、日本には送らずパリの自宅に飾っていたとミッシェル・アンリが言っていた。品川プリンスホテルのカシニョール展の折には、私も西武グループの担当者から呼ばれて、半日程通訳の真似ごとをした。丁度私の結婚式の直前だったので、画集にメッセージを書いてくれた。その後、カシニョールに会う機会はない。10年程年まえ、カシニョールの画業50年だかのパーティーの招待状が届いたが、時間が取れなくていかなかった。

カシニョールとの出会い

  ジャン・ピエール・カシニョールはプランスのブランドジバンシー部長の息子で、まあ中位の小坊ちゃん。通称ボザール正式には国立パリ高等美術学校のシャプラン・ミディのクラスで学んだ。アトリエの先輩にミッシェル・アンリがいた。アトリエへ入る試験の時の試験官がミッシェル・アンリで、有名な画家同士にしては珍しく仲が悪くない。 15年以上昔なので、どうして知り合ったのかも忘れてしまったがCT女史という、フランスのオークションの鑑定人と私が仲良くなった。彼女は以前日本の伊藤忠だかと取引があり、日本に好感を持っていた。また、フランス語をわりと流暢に話すちょっと変わった、日本人(私)が気に入ったらしくて、一緒に食事をしたり、家にも招いてくれた。オジェという人物画を描く、物凄く女好きて無鉄砲な画家がいた。そいつがアメリカから戻って来たから組んでそいつで一緒に一儲けしようと持ちかけられた。その頃は、まだ版画が良く売れた時期で、そんな聞いたこともない画家の話など、興味は無く、彼女がカシニョールのお姉さんだか妹だかと仲が良いのでカシニョールを紹介してもらう事にした。当時はビュッフェ、ブラジリエ、カトラン、カシニョールの版画を安く仕入れられれば、それこそ一儲けも二儲けも可能だった。  散々彼女の機嫌を取って、カシニョールの家に連れて行ってもらった。凱旋門から、放射状に出ている通りの一つで、凱旋門から数分の所だ。表札にはJPCとしか書いていない。その日、カシニョールは引越しの準備で急がしかった。まだ、 2人目だか3人目の奥さんの子供が4-5歳でアパルトマンの中をショロチョロしていた。パリにいると、来訪者が多すぎて、ゆっくり子供と遊ぶ暇も無いのでスイスに引っ越す事にしたそうだ。私はその話を鵜呑みにした間抜けだが、他の人は別の意見だ。スイスの方が圧倒的に税金が安く、また、銀行に隠し口座が持てるからだと言う。つまり、カシニョールは随分儲けているそうだ。それはそうに違いない。どちらが正しいのか。日本のように、フランスも本音と建前があるのだろうか。  それはさて置き、私は有りっ丈の知識と、私が知る限りの形容詞を使って彼の版画を褒め上げた。また、ムッシュー・カシニョールを連発した。彼は、すっかり気を良くして私に版画を売ってくれる事になった。小さな電卓を持ってきて、版画の入っているケースを次々に開けて電卓を叩いて見せた。私は日本で買うより安そうな値段の版画で、売れそうなのを10枚程選んで買った。しかし、この値段では一儲けも二儲けもは、できない。せいぜい、日本で業者から買うより少し安いだけだ。作品によっては、日本で買うほうが安いのもある。これは、やはり相当に儲けている。まあ、別れた女房への慰謝料をかなりはらっているらしい。儲けているだけに、先方も慰謝料を吹っかけたことだろう。  CT女史によると、私の態度は理想的だったそうだ。何しろ、私は全身全霊で、ありとあらゆるレトリック(修辞法)を駆使した。カシニョールのアパルトマンをでた後は疲れ果てて放心状態だった。それだけ苦労した割には、大して安くもなくて少々拍子抜けした。まあ、いつかいい事でも有るだろうと思い、彼女にも紹介料を払い、夕食もご馳走してあげた。  その後、品川プリンスホテルの新館がオープンし西武ブループがカシニョールを日本に呼んだ。品川プリンスホテルのステンドグラスを作らせ、その図柄を版画に起し、ノリタケにカシニョールの絵柄を焼き付けた食器まで作らせた。ホテルのオープンに先駆けて展示会もやり、2000万円程売ったらしい。当時としてはたいした金額ではなかった。西武グループは機会ある事にカシニョールの版画や原画を買い、軽井沢プリンスホテルなど以前は全室カシニョールの版画で飾られていた。カシニョールだけでは無く、ビュッフェ、ブラジリエ、カトランなど20世紀後半の巨匠を買い集めたらしい。それらの作品をパリで買い集めた、元オーナー一族の女性はミッシェル・アンリも買ったらしいが、日本には送らずパリの自宅に飾っていたとミッシェル・アンリが言っていた。品川プリンスホテルのカシニョール展の折には、私も西武グループの担当者から呼ばれて、半日程通訳の真似ごとをした。丁度私の結婚式の直前だったので、画集にメッセージを書いてくれた。その後、カシニョールに会う機会はない。10年程年まえ、カシニョールの画業50年だかのパーティーの招待状が届いたが、時間が取れなくていかなかった。