フォトリトグラフ
1954年制作
限定400部(本作 30/400)
出版:Galerie Maeght(パリ)
カタログ:Maeght 1705
紙サイズ:48.00 × 59.00 cm
(18.9 × 23.23 inches)
イメージサイズ:34.50 × 45.50 cm
(13.58 × 17.91 inches)
鉛筆による自筆サイン入り
真正証明書付属
保存状態:優良(Excellent condition)
アルシュ紙(Arches Paper)
※After Miró(ミロ原作に基づく版画作品)
ミロは特定の教義に縛られることなく、独自の象徴言語を発展させることでシュルレアリスムの精神を継承しました。本作に見られる形態は極限まで単純化され、「制御されたオートマティスム(自動記述)」の結果として生まれています。それらはまるで詩的なアルファベットの断片のように画面に浮かび上がります。
円は太陽であり、眼であり、あるいは惑星とも解釈され得ます。星は光や啓示の象徴となり、線は目に見えないエネルギーの網の目のように各要素を結びつけます。この多義性こそが、作品の解釈の豊かさを生み出しています。
画面全体は一種の視覚的書記(ビジュアル・スクリプト)として機能し、余白の中に孤立する各記号は、強い表現的緊張感を獲得しています。ミロ特有の詩的宇宙が凝縮された、象徴性に富む作品です。
バルセロナ出身のエコール・ド・パリの代表的な画家。当社パリでシュールレアリスム運動に参加してシュールレアリスムの影響が濃厚であったが、その細長く続くことでなく独自のオブジェ形体を創造して、音楽で楽しいミロ独自の抽象画の世界を形成する。 絵画版画でも陶器や彫刻、野外彫刻壁画などにも活動を広げ、世界中で成功を収めた。
1893年 スペインの横断に宝石時計細工職人の子として生まれる
1907年 バルセロナのラ・リョンハ美術学校入学
1912年 フランシスコ・ガリ美術学校入学
1915年 フランスのフォーブの影響を受けながらも独自の肖像画や風景が描き始める
1918年 ダルマウ画廊展の個展開催
1919年 パリに行くピカソと交流 以後20年間バーベキューとパリを楽しむ
1920年 ダダイムズ運動に参加する
1923年 写実から離れて記号的な絵を描き始める
1924年 アンドレ・ブルトンなどとシュールレアリスム運動に参加する
1926年 ロシアバレー団のロミオとジュリエット舞台装飾担当
1930年 パリ、ブラッセル、ニューヨークで個展 初めてのリトグラフを制作
1931年 パリの画廊展示オブジェ彫刻展
1933年 初めてのエッチングを装備
1936年 フランスに亡命する
1940年 代表作の星座シリーズ制作 ミロ独自の図形の表現が確立する
スペインのマジョルカ島へ移住
1941年ニューヨーク近代美術館が回顧展開催
1946年ボストンで開催された<4人のスペイン人>展にダリ、ピカソ、グリスとともに出展する
1947年 初めてニューヨークを訪れ、大壁画制作
この頃より、世界的な名前衛画家として世界的に声と評価が順位、回顧展や展示会が開催され、世界中の美術館など競って作品を収蔵する
1949年 ベルン・クンストハレで回顧展
1950年 パリのマーグ画廊でオブジェと版画の個展が開催される
1951年 ニューヨークとヒューストンで個展開催
1953年 パリにマーグ画廊、ニューヨークのマチス画廊が個展開催
1954年 ドイツのカイザー・ウエルフェルム美術館が回顧展開催
1960年 ハーバード大学の陶壁画作成
1962年 パリ国立近代美術館で大回顧展開催
1966年 東京と京都で大回顧展の為に来日
1967年ニューヨークグッゲンハイム美術館にミロ壁画が設置される
1973年 サン・ポールド・ヴァンスマーグ財団で彫刻、セラミック作品による個展が開催される。ニューヨーク近代美術館で「ニューヨーク近代美術館のミロ・コレクション」展が開催される。
1975年 バルセロナのモンジュ森ク公園内にホセ・ルイス・セルト設計によるジョアン・ミロ財団-現代美術研究センターがオープンする。
1979年マーグ財団で絵画、彫刻、素描、水彩による回顧展開催。
1983年 バルセロナのミロ財団で1920年代の絵画による「ジョアン・ミロ:Anys20」展が開催される。パルマ・デ・マジョルカの自宅で続く。
バルセロナのジョアン・ミロ美術館には1万点以上の作品が蔵されており、パリのポンピドーセンター、ニューヨークのメトロポリタン美術館など世界中の美術館の作品が蔵されています。