生い立ち
1882年、フランスのアルジャントゥイユ(ヴァル=ドワーズ県)に生まれる。8歳の時に家族とともにル・アーヴルへ移り、この港町で成長した。父も祖父も装飾塗装業を営んでおり、ブラックも幼少期から家業として壁面装飾や模造大理石塗装などの技術を身につけた。この職人的な訓練で培った素材感覚や色彩への感度は、後年のパピエ・コレやコラージュの技法にもつながっていく。並行してル・アーヴル美術学校の夜間コースで絵画を学び、1900年頃パリへ出て本格的に画家を志した。
フォーヴィスムからキュビスムへ
1905年、パリのサロン・ドートンヌで見たフォーヴィスムの作品に強い衝撃を受け、しばらくその影響を受けた鮮烈な色彩の絵画を制作する。しかし1907年、Pablo Picassoの革新的な作品《Les Demoiselles d'Avignon》に出会ったことで、その芸術は大きく方向転換した。
ブラックはピカソと緊密に協力しながら、新しい造形表現の探求を始める。1908年頃、批評家のLouis Vauxcellesが、ブラックのエスタックの風景画を見て「小さな立方体(キューブ)」と表現したことから、やがてこの新しい表現はキュビスム(Cubism)と呼ばれるようになった。ブラックとピカソは1914年まで、まるで「ザイル(登山用ロープ)で結ばれた登山家のように」互いの制作を確認し合いながら密接に協働し、20世紀美術に大きな革命をもたらした。
その歩みは、対象を多視点から幾何学的に分解して描く「分析的キュビスム」(1909年頃〜)から、文字や新聞、木目模様などをコラージュし、色彩と装飾性を取り戻していく「総合的キュビスム」(1912年頃〜)へと展開する。1912年頃にブラックが考案した、木目や大理石模様を模した壁紙を切り貼りする「パピエ・コレ」の技法は、絵画に現実の素材そのものを持ち込む画期的な発明として、後の20世紀美術における様々なコラージュ表現の出発点となった。
戦争と円熟期
第一次世界大戦ではブラックは歩兵として動員され、1915年に戦場で頭部に重傷を負う。長い療養とリハビリの期間を経て復帰した後は、ピカソとの緊密な協働関係を離れ、独自の道を歩み始める。戦後はキュビスムの原理を保ちながらも、色彩を豊かに取り戻し、より詩的で静謐な絵画へと発展させていった。1920年代には《果物皿とテーブルクロスのある静物》などに見られるように、落ち着いた色調と洗練された構成による、ブラックならではの静物画の様式を確立する。
1930年代以降は、画家自身のアトリエそのものを主題とした連作「アトリエ」シリーズに取り組み、絵画空間と現実の境界を曖昧にする独自の探求を深めた。また、鳥をモチーフにした軽やかで象徴的な作品群も、晩年を代表する重要な仕事として知られている。
評価と晩年
ブラックは静物画、アトリエのシリーズ、鳥を主題とした作品などを生涯にわたり制作し続け、ピカソと並びキュビスムを創始した画家として、また20世紀フランス絵画を代表する巨匠として高く評価された。1961年にはルーヴル美術館において存命の画家として初めて大規模な回顧展が開催され、同美術館の「アンリ2世の間」の天井画制作も手がけるなど、フランス美術界において特別な敬意を払われた画家である。
ブラックは1963年8月31日、パリで死去。フランス政府による国葬が執り行われた。遺体は、晩年を過ごしたノルマンディー地方のヴァランジュヴィル=シュル=メールの海辺の墓地に埋葬されている。