ダニエル・クチュール

1:ダニエル・クチュール経歴

 1930年パリの郊外ムーランに生まれる。

1945年国立パリ応用芸術学校卒業

卒業後商業デザイナーとなる。

1952年 フランシーヌと結構

1955年 息子のジャン誕生

1976年~サローン・ド・-トンヌ展、サロン・デ・アンデパンダン展等出展、ギャラリー・ブッシェール・ジャネル【パリ】、ギャラリー・ド・ラ・・プラスボボー【パリ】、ギャラリー・フランシス・バルリエ【パリ】、ギャラリー・オリビエ【ロスアンジェルスUSA】、ギャラリー・ジュクスタポーズ【ニュージャージーUSA】、チェキン・ギャラリー【レッド・バンクUSA}、フィリップス・ギャラリー【フロリダUSA】等の有名画廊で個展を開催

1980年 パリを離れ、父の故郷南フランスのアングレムに移りすむ。

2004年~日本のギャルリー亜出果と日本独占契約

2004年 札幌三越がダニエル・クチュール来日展開催し、北海道文化放送がニュース放映する。

2005年 日本橋三越がダニエル・クチュールとフランスアート展を開催

2006年 札幌三越、博多大丸、神戸大丸がダニエル・クチュール来日展開催

2011年 神戸大丸、名古屋大丸ががダニエル・クチュール来日展開催

2013年 色彩が判別できなくなり制作を中止

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 2:ダニエル・クチュール評論

 光と影、そのドラマ=ダニエル・クチュールの世界

ダニエル・クチュールは悲しみも、苦しみも絵画を描くことと家族を愛する事で乗り越え続けてきた画家だ。20歳の時知り合ったデザイナーのフランシーぬと25歳で結婚し、自営のデザイナーとして苦しい時代を夫人と共に乗り越え一人息子のジャンを育て上げた。狭いパリのアパルマンでデザインの仕事が終わると何時間も好きな絵を描いた。ジャンが大学を卒業すると同時にある程度成功していたデザインの仕事を辞めて、プロの画家になった。妻のフランシーヌはそんなダニエル・クチュールを仕事と家庭の両面で支え続けた。ダニエル・クチュールの絵は南フランスの光りと色彩とその喜びに弾けそうだ。彼の絵を見ていると幸福感に包まれる。ダニエル・クチュールは言う【人生は苦しみの連続だ。私はデザイナーと画家という心から愛する仕事をする為に、そして愛する家族を守る為に、その苦しみに耐えた。私は苦しみを乗り越えて真摯に生きている人達に、幸福と安らぎを与える絵画を描きたいのです。だから私の絵は、喜びと希望にあふれているはずです。】

ギャルリー亜出果武田康弘

 

ダニエル・クチュールの絵画は単に色彩のハーモニーとして美しいだけではない。生き生きとした、自然の描写であり、彼の感性と経験から生み出された文学作品でもあります。本質的な事は的確に述べられています。その中に、官能的なエピソードさえ引用されています。彼の作品の前に立ち、身近な感動を覚えるのは幸福な時間です。そして、ダニエル・クチュールは私達に多くの幸福な時間を提供してくれるのです。【評論家 ジャン・ロジェ・ヴァリエール ダニエル・クチュール画集より】

  

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