ピエール=オーギュスト・ルノワール

1841 — 1919
印象派 — フランス

生涯でおよそ六千点を描き、印象派の中でもっとも柔らかな光と色彩を追い求めたフランスの画家。肖像、裸婦、風景、静物と幅広く手がけたが、なかでも女性像への情熱は最後まで衰えることがなかった。

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リモージュの仕立て職人の家に生まれたピエール=オーギュスト・ルノワールは、陶器の絵付け職人としての修業を経て絵画の道へ進んだ。クロード・モネやアルフレッド・シスレーとともに戸外制作に打ち込み、印象派展の中心的な担い手となった後、晩年は南仏カーニュ=シュル=メールで、より豊かで彫刻的な人物表現へと向かっていく。

生誕:1841年2月25日、リモージュ(フランス)
没年:1919年12月3日、カーニュ=シュル=メール
主な画題:肖像、女性像・裸婦、風景、静物
主な所蔵先:オルセー美術館、ニューヨーク近代美術館、エルミタージュ美術館、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)ほか


ルノワールの歩み

1841 – 1854
七人兄弟の六番目としてリモージュに生まれる。仕立て職人の父、裁縫師の母のもと、家計は豊かではなかった。一家はより良い暮らしを求めてパリへ移り住む。

1854 – 1861
13歳で陶磁器の絵付け工房に弟子入りし、皿や磁器に花や肖像を描く仕事に従事する。ここで培われた繊細な筆さばきと透明感のある色彩感覚は、のちの油彩画にも受け継がれていく。ルーヴル美術館に通い、ルーベンスや18世紀フランス絵画に親しんだ。

1862 – 1870
エコール・デ・ボザールに入学するとともに、シャルル・グレールの画塾に通い、クロード・モネ、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールと出会う。フォンテーヌブローの森近郊やセーヌ河畔で共に制作し、戸外での光の表現を模索し始める。

1874 – 1877
第一回印象派展に参加。以後、印象派グループのもっとも著名な担い手のひとりとなる。パリの社交風景や舟遊びを描いた作品群で、移ろう光と人々の生き生きとした表情をとらえた。

1881 – 1890年代
イタリアを旅し、ルネサンスの壁画やアングルの線描に感銘を受ける。色彩よりも輪郭と構成を重視する時期を経て、次第に量感豊かで柔らかな人物表現へと画風を成熟させていく。

1900年代 – 1910年代
南仏カーニュ=シュル=メールに居を移す。関節リウマチが進行し、晩年は絵筆を手に括りつけて制作を続けたと伝えられる。それでもなお、豊満で穏やかな女性像への探求は衰えることなく、『女性の胸像』のような親密な肖像を数多く手がけた。

1919
12月3日、カーニュにて肺の疾患により死去。オーブ県エソワイエに埋葬される。晩年、看護にあたった者に「ようやく何かが分かりかけてきた気がする」と語ったと伝えられている。


今日のルノワール

六十年におよぶ画業のなかで残された作品はおよそ六千点。その数の多さは評価を損なうどころか、今なおフランス絵画のなかでもっとも高く求められる画家のひとりであり続ける理由となっている。柔らかな筆致と温かな色彩は、印象派の光の探求を超えて、人間の親密さそのものを描き出した。

取り扱い作品

Galerie de la Présidence では、1904年頃に描かれた『女性の胸像』をはじめ、晩年のルノワールが追求した親密な女性肖像の一点を所蔵しています。詳細は作品ページをご覧ください。