1996年ミッシェル・アンリの来日

1996年ミッシェル・アンリの来日

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前年1995年には、初めてミッシェル・アンリを日本に招待して日本橋東急百貨店と東急東横百貨店でミッシェル・アンリの来日展を開催すると同時に、7月に軽井沢プリンスショッピングプラザがオープンして弊社もそこに、ギャラリーヴァンドフランスを出展した。弊社にとっては、その後の20年に向けて画期的な年となった。

私は1996年もミッシェル・アンリに来日してもらおうと思っていたが、11月には、ミッシェル・アンリが副会長を勤めていたサローン・ドートンヌの11月開催と重なって予定の調整に随分手間取った。

コルシカ島の中心のカルヴィ市がカルヴィ現代アート展を毎年開催する事になりミッシェル・アンリがそのアート展の会長に就任して第1回カルヴィ現代アート展が開催される事になりその日程調整も入ってきた。

百貨店の展示会は一年~半年以上前に会期を含めて企画を決定して準備を始める。春になってもミッシェル・アンリから来日の返事は来なかった。私は、5月にパリに行き、ミッシェル・アンリに会った。

ミッシェル・アンリは日本は気に入っていて、私の仕事の仕事ぶりも高く評価してくれていたので、まずは安心した。私はミッシェル・アンリの絵画は同僚のビュッフェや後輩のカシニョールよりクオリティが高いと思っていた。

ビュッフェやカシニョールは1970年代からパリに画廊を持っている為永画廊やフランスの版画制作会社のビジョン・ヌーベルの日本代理店をが日本に入れていた。その頃はミッシェル・アンリはパリの為永画廊の隣のアメリカのフィンドレー画廊の専属画家で、毎年アメリカにばかり行っていたため為永画廊もビジョン・ヌーベルもミッシェル・アンリを扱わなかった。日本ではビュッフェやカシニョール程有名ではなかった。

私はミッシェル・アンリの価値を日本人に認めさせたいと思っていた。ミッシェル・アンリは頭の良い人でビジネスの事にも理解があるので、私の熱意を実現するため、毎年来日して協力したいと言った。

ミッシェル・アンリの絵画は全ての絵画的な要素において優れている。

1:構図:絵画は非常に大きくと安定感のある古典的な構図で描いている。

2:色彩:原色に近い輝きのある色彩をバランス良く使っているので、色彩が輝きを失わない。同系色を幾重にも重ねてもそれぞれの色が美しい。赤、黄色、ブルー、緑、茶色と様々の色を支配色として描く事が出来、色彩に透明感と宝石のような輝きを与える。つまり、様々な色彩を使いこなせる。ある時、ミッシェル・アンリの先生の社プラン・ミディはミッシェル・アンリが赤を明るい色彩として(普通赤は暗い色彩と考えられている)使用しているのを見て、「ミッシェル・アンリは私を越えた」と言った。ビュッフェはデッサンと単純化された一種漫画のような、表現に特徴があるが、色彩は表現は貧しい。

3:マチエール:マチエールは絵筆の軌跡、絵画の肌の事だ。タッチとはまた別の概念だ。カシニョールやビュッフェはマチエールを余り感じさせない表面がフラットな絵画を描く。日本画なども同じように表面がフラットなので、日本画を見慣れている日本人には、マチエール感が無いカシニョールやビュッフェの絵画に余り違和感がないが、印象派以降の西洋の絵画を見慣れている人には、物足りない。ミッシェル・アンリは美しいマチエールを付ける。

4:意図:絵画は画家の意図によって描かれる。芸術家は常に、自分が何を創造して、見ている人に何を感じて欲しいのか、自分が何を表現したいのかを意識してアートを組み立てる。それがなければ、デッサンをし絵具を付けているだけの機械的な作業だ。芸術家の職人の違いはそこにある。ミッシェル・アンリの絵画には意図する美しさがある。それぞれの絵画で千差万別なので一言で表す事が出来ないが、それぞれの絵画が特徴のある美しさを感じさせる。それは、画家自身がインスピレーションを得、意図し、工夫し、試みた結果として表現される。

つまり、ミッシェル・アンリの絵画は全ての絵画的要素が卓越している。

ミッシェル・アンリと親密に話して、彼は、私が如何に彼の絵画を正確に理解しているかを知ってさらに私を信頼してくた。

日程調整をして連絡するとのミッシェル・アンリの言葉を得てパリを後にした。

7月にミッシェル・アンリから連絡があり11月の来日が決定したが、ミッシェル・アンリの来日迄4月しかなく、百貨店での企画は難しい。ミッシェル・アンリは日本に来るために、サローン・ドートンヌの副会長を辞任したらしい。

今年はサンシャインのギャラリーアデカ、軽井沢プリンスショッピングプラザのギャラリーヴァンドフランスと千葉パルコで展示会を開催する事とした。

 

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