Michel-Henry

Michel Henri is a master French painter representing the second half
of the 20th century, and was awarded France's highest award,
the Légion d'Honneur, and his works are stored in museums such as
the Musée des Beaux-Arts in Paris. He is known as the artist of
flowers and happiness because he uses bright colors to paint pictures
with a sense of happiness, and because he paints a lot of poppies,
he is named the king of poppies in the Unites states .He is Born
in Langres, France in 1928, passed away in the suburbs of Paris
in 2016

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  1:: Michel Henry's biography

1928 Born in 1928 in Langres, a fortified city built by the ancient Romans
in western France.
1947 - Entered the National School of Fine Arts in Paris.
He studied in a class of Narbonne, which specializes in powerful
compositions. Bernard Buffet was in the same class, but he dropped out.

 

1950~ : He Studied in the class of Chaplain-Midi, a class with
beautiful colors, and graduated at the top of its class.
Cassignol entered Chaplain-Midi's junior class, and his second
interview for admission was Michel Henry.

1954  He was dispatched to Barcelona as a representative of the Paris 
School of Fine Arts and exhibiting works.

1955: Dispatched to Berlin as a representative of the Paris School of
Fine Arts and exhibits work and wins Taylor Prize
1956: Received the Descartes House Prize and studied abroad 
at the Descartes House in Amsterdam on government scholarship.
1957-58: Study abroad in Madrid after winning the Casa de Velázquez
Prize.
1958-1965: Contracted with Galerie Romanée, a top gallery in Matignon, Paris
1960: Recipient of the Palais Royal Award and the Silver Prize 
at the Paris City Exhibition.From this year, he left behind the dark
atmosphere of the post-war painting style and began painting
with bright colors.
1961 Winner of the Henri Farman Prize
1965 National Art Association Young Painter Award
1965-2010 lived in Former Chagall atelier on Rue Leclerc 
in Montparnasse Paris.
1967-1985 Contracted with American gallery Walley Findlay Gallery
<Paris, Chicago, Palm Beach, New York, London> During this period,
he traveled to the United states every year.
1974 Visited Iran as a representative of Salone d'Automne and
met with the King of Iran
1975 Solo exhibition in Geneva
1977 Received the French Artists Association Gold Medal
1981: Awarded the Knighthood of the Legion d'Honneur;
Received the French National Horticultural Society Gold Award
1982 Solo exhibition in Geneva
1983 Appointed as Secretary General of Salone d'Automne
1984: Awarded the Knighthood of the Order of Agricultural Merit.
Michel Henry retrospective at Salone d'Automne
In 1985, he came to Japan for the first time as a representative
of Salone d'Automne and exhibited his work at the National Museum
of Western Art in Ueno Tokyo.
Bernardo, a French Limoges ware company, produces and 
sells pottery with designs by Michel Henri.
1986 Received the Paris City Special Award
In 1987, Michel Henry's paintings were exhibited in Japan
as part of the World Orchid Exposition.
1989-1995: Contracted with Etienne Sassy Gallery in Avenue Matignon
Michel Henry and Brasilier became Etienne Sassy Galery's 
two stars artists.
1990 Appointed vice president of Salone d'Automne
1991 Salon de Villers Gold Award
Retrospective exhibition at Château de Sédières led
by Madame Chirac wife of President of French Republic
1992 Japanese cement company Onoda Cement (currently Taiheiyo Cement)
selected Michel Henry's paintings for their 1994-95 painting calendar
Solo exhibitions at Etienne Sassy Gallery in Paris and New York
 1993 Solo exhibitions in Lille, France and Munich, Germany
1994: Came to Japan as vice-chairman of Salone d'Automne to prepare 
for the next year's Japan feature Solo exhibition in Brussels
1994 - Signed an exclusive contract with Japan's Adekat Co., Ltd.
(Galerie Adekat) Visited Japan every year from the following year
until 2009.
1995 - In France, Michel Henry signs a contract with 
the Alexander Léodouse Gallery in Avenue Matignon.
Michel Henrie exhibition at Alexander Leodze Gallery in Paris ⇓

 パリのアレクサンダーレオヅーズ画廊のミッシェル・アンリ展

1996, Adeka Co., Ltd. (Galerie Adeka) invited Michel Henrie
to Japan and held an exhibition of Michel Henri's paintings in Japan
at Nihonbashi Tokyu Department Store ,Tokyu Toyoko store and
Gallery Adekat of Sunshine City French Chamber of Commerce and
Industry Exhibition Hall.
1997 Michel Henry offers an oil painting for auction in New York 
to benefit the Children's Eye Disease Research Foundation.
The organizer, Princess Marianne Bernadette of Sweden,
paid a courtesy visit to Michel Henry's atelier and at the same time
sent a letter saying that Michel Henry's paintings were the highlight
of the charity auction.

2回カルヴィ―市現代アート展にて会長に就任

シャトー・ド・ヴィクスーズで個展

㈱アデカ(ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して沖縄三越でミッシェル・アンリ来沖絵画展 を開催する。スエーデン王女アリアンヌ・ベルナドット、レイモン・バール元首相夫人、オルレアン公女からミッシェル・アンリにメッセージが届く 沖縄三越店長(元パリ支店の大歓迎を受ける)

レイモン・バール首相夫人の手紙と翻訳⇓

 

沖縄でのミッシェルアンリ展のミッシェル・アンリと松本店長とギャルリー亜出果武田康弘夫妻↓

沖縄三越のミッシェル・アンリ来日展のミッシェル・アンリ、松本店長。ギャルリー亜出果武田康弘夫妻

 1998年 ㈱アデカ(=ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して、神戸オリエンタルホテルと東京のプランタン銀座でミッシェル・アンリ来日展を開催する。

 

神戸オリエンタルホテルが日仏交流日本におけるフランス年のフランスフェアーのメインイヴェントとしてミッシェル・アンリ絵画展 兵庫県知事貝原氏より兵庫県の迎賓館招待され、ミッシェル・アンリに兵庫県の鍵が贈答され名誉市民の扱いとなる。ミッシェルアンリが神戸のサンテレレビ出演し震災復興中の神戸市民を勇気づけつメッセージをおくる。

ミッシェルアンリが大阪神戸総領事アランナウンム氏を表敬訪問する。

 

プランタン銀座がミッシェル・アンリ来日絵画展の開催を記念して、石井千恵子社長がミッシェル・アンリに壁画の制作を依頼し、ミッシェル・アンリは石井社長の要望に応えてプランタン銀座の壁画を描く

プランタン銀座の壁に描くミッシェル・アンリ⇓

 

北海道雄武町の日の出岬ホテルがミッシェル・アンリの油彩画でホテルを飾りミッシェル・アンリギャラリーを作る。

ホテル日の出岬に飾られたミッシェルアンリの油彩画の前で⇓

 

ジャック・シラクフランス共和国大統領特別後援でフランス中部の湖上に浮かぶ城のシャトードヴァルでミッシェル・アンリ展が開催される。3月間で300,000人の入場者を数える。ミッシェル・アンリが制作したシャトードヴァルのリトグラフポスターとオリジナルリトグラフがチャリティ販売される。ミッシェル・アンリはその売り上げをシャトードヴァルの修復費用に寄付する。

 1999年 ミッシェル・アンリは、紀元2000年を記念してミッシェル・アンリのパリ2000年シリーズのオリジナルリリトグラフ版画シリーズを制作発表する。ミッシェル・アンリのパリ2000年はパリの凱旋門、ルーブル美術館等パリの20の名所を20種類のオリジナルリトグラフ版画にし描いたシリーズだ。

㈱アデカ(=ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して、プランタン銀座と千葉三越で。サンシャインのフランス商工会議所展示場のギャラリーアデカでミッシェル・アンリ来日絵画展を開催する。各会場でミッシェル・アンリのサイン会を開催する。

 

 2000年 兵庫県が震災復興を記念して花と緑の博覧会<ジャパンフローラ2000>開催。貝原俊民兵庫県知事がフランス国立園芸協会の代表として兵庫県名誉市民のミッシェル・アンリ氏、アランナウンム在神戸大阪フランス総領事とギャルリー出果武田康弘と共に招待し、3氏ともに出席する。

ジャパンフローラ会場のミッシェル・アンリ⇓

 

㈱アデカ(ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して、名古屋三越でミッシェル・アンリ来日絵画展、新宿高島屋でミッシェル・アンリ来日絵画展、京都大丸でミッシェル・アンリ来日絵画展を開催する

 

 2001年 ㈱アデカ(=ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して、池袋三越でミッシェル・アンリ来日展、千葉三越ミッシェル・アンリ来日絵画展を開催する。

 

グルドーモンターニュ駐日フランス大使がギャルリー亜出果と共催でミッシェル・アンリ歓迎パーティーを駐日フランス大使公邸で開催する。主催者のグルドー・モンターニュ大使夫妻がカクテルパーティー来客を歓迎する。ミッシェル・アンリはミッシェル・アンリの絵画のコレクターであるデビ・スカルノインドネシア元大統領夫人を同伴してミッシェル・アンリ歓迎パーティーに出席する。デビ夫人の招きでオペラ歌手の秋川雅史も出席する。ギャルリー亜出果武田康弘が司会をする。

ミッシェル・アンリの紹介をするフランス大使とミッシェル・アンリ

大使夫人、ギャルリー亜出果武田康弘⇓

 フランス大使主催とギャルリー亜出果共催のフランス大使公邸でのミッシェル・アンリ歓迎パーティー グルドーモンターニュ駐日フランス大使夫妻、三越のミッシェル・アンリ、武田康弘

パーティに参加したデビ夫人、オペラ歌手秋川雅史など⇓

フランス大使公邸でのミッシェル・アンリカンゲイパーティーに参加したデビ夫人、オペラ歌手の秋川雅史、ギャルリー亜出果武田康弘など

 2002年 ㈱アデカ(ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して、札幌三越でミッシェル・アンリ来日展、岡山天満屋本店でミッシェル・アンリ来日展を開催する。札幌文化放送が札幌三越のミッシェル・アンリ来日を大々的に報道し、ミッシェル・アンリと札幌文化放送社長で在札幌名誉領事の木梨芳一氏、フランス大使館のフィエスキー一等書記官とジル・ギオー札幌アリアンスフランセーズ校長がミッシェル・アンリギャルー亜出果武田康弘と共にオープニングパーティーに出席する。

 

ミッシェル・アンリの絵画で装飾された町立のホテル日の出岬を経営する雄武町町長田原賢一氏主催でミッシェル・アンリ歓迎パーティーが開催される。ミッシェル・アンリと共にフランス大使館のフィエスキー一等書記官、ジル・ギオー札幌アリアンスフランセーズ校長、ギャルリー亜出果武田康弘が参加⇓

 

2003年 

在札幌フランス名誉領事で札幌文化放送社長木梨芳一氏とギャルリー亜出果社長武田康弘が雄武町のミッションとしてミッシェル・アンリの故郷ラングルを訪れる。ミッシェル・アンリギャラリーのある雄武町とミッシェル・アンリ美術館を予定しているラングルの友好関係を深めるため。松原在アルザス日本領事も出席してラングル市長が歓迎パーティを開催する。パーティ出席者は、ラングル市長、ミッシェル・アンリ、木梨芳一氏、松原領事、パトリス・ド・ラ・ペリエ-ルユニベールデアール誌社長↓

 

ラングルの名士ルグロ氏がラングルの古い建物を購入してミッシェル・アンリ美術館にする事を決定する。

パリの仁野覚エスモード学園パリ本校校長が自宅で木梨芳一氏の歓迎パーティーを開催し、木梨芳一氏、ミッシェル・アンリ、磯村尚徳元NHKニュースキャスター、元NHK欧州総局長、パリ日本文化センター初代館長夫妻、パトリス・ド・ラ・ペリエ-ルユニベールデアール誌社長夫妻、ギャルリー亜出果武田康弘などが招待される。⇓

 

㈱アデカ(ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して、池袋三越でミッシェル・アンリ来日絵画展、仙台三越でミッシェル・アンリ来日絵画展、博多大丸、大阪京橋のギャラリー木村でミッシェル・アンリ来日絵画展を開催

ギャラリー木村のミッシェルアンリ来日絵画展にはフィリップ・シャテニュー在神戸大阪フランス総領事の氏と元大阪市長の大嶋夫妻が来場する⇓

 

仙台三越のミッシェルアンリ来日絵画展では、仙台テレビがミッシェル・アンリ来日絵画展の開催を大きく報道した。在札幌フランス名誉領事で札幌文化放送社長木梨芳一氏が会場に来場してミッシェル・アンリとギャルリー亜出果武田康弘と再開を果たす。福島県飯舘村の菅野典夫村長夫妻が来場する。菅野村長は、飯舘村にレイモン・ペイネとミッシェル・アンリの愛と平和、花と幸福の美術館を創る希望を持っていた。

 

ミッシェル・アンリとギャルリー亜出果武田康弘が博多大丸会長・福岡日航ホテル社長の太田和夫氏に博多に招待される。ホテル日航がミッシェル・アンリの絵画を購入しホテルに飾る。

ミッシェル・アンリの絵画で装飾された阪急インターナショナルホテルでミッシェル・アンリ、フィリップ・シャテニュー在神戸大阪フランス総領事、仁野 覚パリエスモード学園パリ本校校長、小笠原英二 社)神戸日仏協会副会長 ギャルリー亜出果社長武田康弘⇓

  

アルビー市のあるミディピレネー州が主催して、ロートレックの故郷のアルビー市のロートレック美術館隣接のムーランアルビジュアでミッシェル・アンリ回顧展が開催され、ミッシェル・アンリの油彩画約200点が展示される。ミッシェル・アンリ、と共にギャルリー亜出果武田康弘が出席し地元のテレビ局からインタビューを受ける。ユニベールデアール誌が特集記事を掲載する。⇓

 フランスのアルビー市のムーランアルビジュワでのミッシェル・アンリ回顧展

2004年

ギャルリー亜出果武田康弘が事務局長となりミッシェル・アンリ友の会を創立する。磯村尚徳元NHKニュースキャスター、元NHK欧州総局長、パリ日本文化センター初代館長が会長となる。貝原俊民兵庫県知事、片桐松樹、扶桑社社長、太田和夫福岡ホテル日航社長、木梨芳一在札幌フランス名誉領事で札幌文化放送社長が役員となる。

㈱アデカ(=ギャルリー亜出果)がミッシェル・アンリを日本に招待して、日本橋三越でミッシェル・アンリ来日絵画展、神戸大丸でミッシェル・アンリ来日絵画展、広島三越がミッシェル・アンリ来日絵画展を開催する。ミッシェル・アンリとギャルリー亜出果 武田康弘が井戸兵庫県知事を表敬訪問

神戸大丸のミッシェル・アンリ来日展⇓

 

 井戸兵庫県知事、ミッシェル・アンリ、小笠原英次神戸日仏協会副会長、ギャルリー亜出果武田↓

 神戸大丸でのミッシェル・アンリ来日展の際、井戸兵庫県知事を表敬訪問する

2005年 6月恵比寿ウインスティンホテルで伊勢丹百貨店特別顧客招待招会でミッシェル・アンリとフランス巨匠展開催(ミッシェル・アンリ、ピカソ、シャガール、ユトリロなどが展示される。)

11月新宿伊勢丹・松戸伊勢丹・府中伊勢丹ミッシェル・アンリ来日絵画展開催

 

2006年 日本橋三越ミッシェル・アンリ来日絵画展 

    仙台三越ミッシェル・アンリ来日絵画展

    横浜インターコンチネンタルホテルミッシェル・アンリ来日展

  

2007年 フランス北部の中心都市リールの高級ホテルエルミットガントロワがミッシェル・アンリ回顧展を開催。日本からギャルリー亜出果武田康弘を招待する。

   池袋東武ミッシェルアンリ来日展 

   神戸大丸ミッシェル・アンリ来日展 

   広島三越ミッシェル・アンリ来日展

   岡山天満屋ミッシェル・アンリ展

 

2008年 日本橋三越ミッシェル・アンリ来日展開催 

     福山天満屋ミッシェル・アンリ来日展開催(広島テレビが放送)

     名古屋三越ミッシェル・アンリ展⇓

 

2009年  神戸大丸がミッシェル・アンリ来日絵画展開催 

     京都大丸ミッシェル・アンリ来日絵画展開催

     箱根小田急ハイランドホテルギャラリーがミッシェル・アンリ来日展開催

 

2011年 パリ市展金賞 パリとカンヌのヴィセリ画廊がミッシェル・アンリ個展開催

 

2012年 日本橋三越ミッシェル・アンリ展  

神戸大丸ミッシェル・アンリ絵画展開催

 

2013年 日本橋三越フランス現代アートの世界展のメイン画家として出展

     札幌三越ミッシェル・アンリ展 開催

 

2014年 パリ郊外のアントニー市主催ミッシェル・アンリ回顧展開催

会場のミッシェル・アンリ回顧展告知の様子⇓

 

2016年12月25日   パリ郊外にて死去

     

 その他の日本でのミッシェル・アンリ展(心斎橋大丸、京都大丸、梅田大丸、岡山天満屋、高松天満屋、広島三越、梅田大丸 吉祥寺東急、、たまプラーザ東急、町田東急、町田小田急、いわき大国屋)

 

2:作品収蔵コレクター

コレクター:パリ市近代美術館  ボゴタ美術館  ヴァランス美術館 ラングル美術館  ベイルート美術館  オルレアン美術館  サウジアラビア王室  モナコ公室 スエーデン王室  オランダ王室  ノルウエー王室  シラク元フランス共和国大統領  レイモン・バール元フランス首相  フランス女優ジャンヌ・モロー  アメリカ女優グレダ・ガルボ カナダカルガリロックホテル 阪急インターナショナルホテル、福岡日航ホテル 順天堂医院 …etc

 3:賞と章  

パリ市展金賞、フランス芸術家協金賞、サローン・ドートンヌ金賞、青年画家展金賞、サロン・ド・ヴィレ金賞 他多数

レジオン・ド・ヌール勲章、農事功労賞

 

4: ミッシェル・アンリからギャルリー亜出果への手紙2006

 

私は自然の画家です。木々、原野、森、花々、果実など全て好きです。だから、私は農業功労賞を受賞いたしました。この賞は、多くの方が受賞を望まれますが、アーティストが受賞する事は稀です。この作品は野の花々のブーケです。とてもシンプルで素朴な作品です。画家がいなければ、コクリコがこれほど賞でられる事はないでしょう。なぜなら切り取られて花瓶に入れられたコクリコは、すぐに色褪せてしまうからです。画家がいなかったら、コクリコが他の花々と一緒に花瓶に行けられるのを見ることも無いでしょう。なぜなら、他の花々が長く咲き誇っていても、コクリコはすぐに萎れてしまいますから、一緒に活ける事が出来ないのです。つまり、画家の魔法によってコクリコは枯れずに咲き誇っているのです。魔法とは画家のイマジネーションです。普通の花は、花瓶の水を吸い上げて生き延びますが、コクリコは逆に樹液が水の中に流れ出しすぐに枯れてしますのです。コクリコを花瓶の水に浸けると驚く程の速さで萎れます。自然のミステリーです。コクリコはかよわい花です。画家の魔法とは、一瞬にして枯れてしまう、コクリコにキャンヴァスの上で永遠の命を与えるのです。

 

 5:雑誌掲載記事

5-1:ユニベール・デ・ザール誌2013年7月~8月号

ミッシェル・アンリ特集 

最近開催されたマレの画家展でも、ミッシェル・の登場はやはり注目を集めた。ミッシェル・アンリは極度に控え目にしていても、彼の絵画マーケットでの大きな存在感を常に感じさせる。 

ミッシェル・アンリは同世代の具象画家の中でも特に活躍している画家である。彼は、40年間常にフランス人に支持された高い価値の画家である。それは、彼のコレクターやメセナのリストを見てもすぐに解ることだ。大統領夫妻、大臣、国家の要人、有名な俳優は歌手などを彼の絵画は魅了し続けてきた。フランスのエリート達の美しい客間に招待されるとミッシェル・アンリの絵画を目にするだろう。 

今日、ミッシェル・アンリは多くのイヴェントに参加し彼の絵画は、展示され、輸出され売られている。オークションでの重要な品目に数えられ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、日本、韓国の客を引き寄せている。それらの国で、巨匠ミッシェル・アンリは非常に稀な卓越した画家として愛されている。彼のマチエール(絵画の質感)が生み出す澄んだ透明感のある絵画は、彼の無二の才能の証であり、美と愛の永遠の栄光を作り続けている。

 

 

5-2: ユニベール・デ・ザール誌2004年4月号

ユニベール・デ・ザール誌xミッシェル・アンリ対談 

 ユニペール・デ・ザール誌の質問: 貴方の絵画について聞かせてください。 

ミッシェル・アンリ: 私にとっては、絵画のテクニックと知識がとても大切です。歳を経れば、経るほどに才能だけでは描けないとの思いを深めます。才能はテクニックの裏付け、つまり勤勉な  練習があって初めて開花します。だから、4・5点画いて画家と名乗る事は出来ません。絵画が偶然に巧く画ける事も、偶然に失敗する事も有り得ないのです。アマチアの画家は、なぜ巧く画けたのか、なぜ駄目だったのがわからないのですが、プロはその理由を知っています。テクニックが全ての基本であるとすれば、デッサンはテクニックの基本です。タブロー(油彩画)を見る時には、色彩の下にデッサンが、構成が、建築がある事を知るべきです。偉大な画家の研究をすれば解る事ですが、訓練によって完成されたテクニックを持たない画家はいません。完全にテクニックを身に付けた後に、その画家の独自性が完成するのです。

 

ユニペール・デ・ザール誌の質門:どの画家が一番心に響きますか。 

ミッシェル・アンリ:私の好きな画家ですか?ボナール(Bonanard)よりも、ビュイアール(Vuillard)、クレーよりもスタールが好きです。私にとってはいビュイアールは生き生きとしてストレートです。スタールに関して言えば、自然から出発して抽象に至ります。クレーはその逆方向で、抽象から自然に向かいます。

 ユニペール・デ・ザール誌の質門:印象派については如何ですか。

 ミッシェル・アンリ:印象派は余りに全員一致で人気が在りすぎます。今日では、印象派は自己完結しているように思われていますが、ある時代の流行に過ぎません。なのに、フランス絵画はルイ15世の世紀で止まってしまったかのように思われています。例えルイ15世の時代に芸術が完成の時をむかえたとしても、その時代で芸術が停止する訳では在りません。

 ユニペール・デ・ザール誌の質門:貴方の最近のインスピレーションについてお伺いしたいのです。インスピレーションは時と共に変化しますか。 

ミッシェル・アンリ:私のインスピレーションはずっと同じです。けれども、進化していきます。私の初めてのタブロー(油彩画)は窓の前にあるミモザのブーケでした。背景は想像で画きました。その、想像して画いた背景は私の故郷ラングルの城壁でした。その時やはり、カーテンも画きました。

 ユニペール・デ・ザール誌の質門:貴方の絵画のオリジナリティはどのようにして生まれましたか。 

ミッシェル・アンリ:私にとって運命的な欠陥によって生まれました。つまり、欠陥が最大の魅力になったのです。私が画き始めた時、私は色価(valeur)に無関心で色彩にのみ興味が在りました。例えば赤は沈んだ色価(valeur)ですが、私は輝く色彩と考え、明るい色価(valeur)として使用しました。その結果、絵の背景は明るいものですか、私は逆に沈んだ色にしました。それでも、結構見られる絵になったのです。私には色彩が色価(valeur)より優先するのです。今でも思い出すのですが、私の指導教授のシャプラン・ミディが<君は色価を無視して絵を完成させる幸運を掴んだ、私は何時も色価を考えながら画かなければならない>と嘆いたものです。

 ユニペール・デ・ザール誌の質門:貴方は自分の見た物とモチーフから自由になれますか。 

ミッシェル・アンリ:勿論です。幸運な事に絵画は人工の物なので、目でみる現実その物ではありません。むしろ、芸術家はその現実の後ろに何があるかを見抜いていくのです。

 ユニペール・デ・ザール誌の質門:つまり貴方は非常に豊かな想像力に恵まれていると考えてよろしいですか。

 ミッシェル・アンリ:それは、分かりません。私は全ての物から学びます。例えば、散歩する時、周囲を見ながら歩きます。私が、タブローを画き始める時、すでになすべき事が分かっています。アイデアが完全に固まっていない時でも、進めて行くうちに突然閃きます。

 ユニペール・デ・ザール誌の質門:もし、間違っていたらすみませんが。結構、速く画かれるようですね。

 ミッシェル・アンリ:はい、画くスピードは速い方です。私の周りには、良い画家でもっと早く画く人もいます。私は効率の良いほうです。画くスピードはその画家の個性に依ります。モリエールは<人間嫌い>の中で「時間を掛ければ良いとゆうものでは無い」といっています。作品の質は製作に掛けた時間に比例しません。非常に幸運に恵まれる時があって、その時は自分で自分の限界を超えていると感じます。自分でも驚くのです。絵画の魔法とでの言いましょうか。

  

5-3:ユニベール・デ・ザール誌 2003年9月号

ミッシェル・アンリ特集 

ミッシェル・アンリ回顧展 1949年~2003年

 この9月はミッシェル・アンリにとって重要なヴァカンス明けとなった。ミディ・ピレネー地方議会とタルヌ県議会が、ツールーズ・ロートレックの生まれた町アルビーで彼の大規模な回顧展を開催する。ミッシェル・アンリの才能については異論の無いところだが、フランスのみならず海外<特にアメリカと日本>でも彼のコレクターは多い。 

この地方のミッシェル・アンリのコレクターのミッシェル・ゴメス氏が中心となって企画を進め、アルビーでのサローンヌ・ドートンヌが開催されるムーラン・アルビジュワで、つまり画家にとっても親しい場所での開催となった。ミッシェル・アンリがフランス国立高等美術学校卒業直後の1951年~1956年アムステルダムのデカルトの家に留学中の作品、1957-1958年マドリッドのベラスケスの家留学中の作品など古い時代の作品に触れる絶好の機会だ。 

もちろん最近の作品も展示され、皆さんの馴染み深い、前景にブーケがあり、後景に開かれた窓の向こうに風景や海景が配された構図の作品もご覧になれる。ミッシェル・アンリの言葉を引用しよう<私は自然を私の感性に従って再創造する。私のヴィジョンは植物画家とも、風景画家とも、ましてやシュールレアリストとも違う。私は私が見たものを描くのではない。私が見た物は、私が見ていない物を描くために必要なのだ。>ミッシェル・アンリの作品には透明感がある。花や果物が盛られた、クリスタルの瓶、コンポート、花瓶などをキャンバスに描き出す。 

彼が花を好きなのは、この自然のエレメントは例外的な色彩のニュアンスを持っているからだ、自然の中のどんな物よりも勝った輝きだ。再びミッシェル・アンリを引用しよう<もし、私がよく花を描くとすれば、この世で一番美しい色は花の色であり、また、花の表情から、その香りも感じる事が出来ることを確信しているからだ。>

 100点余りの作品が展示され、来場者は20世紀の巨匠の作品を一堂に見ることが出る。   パトリス・ド・ラ・ペリール

  

5-4:ユニベール・デ・ザール誌 2003年6月号

ミッシェル・アンリ特集 

 芸術作品は観賞する人を想定している。誰にも見られずにアトリエの片隅に捨て置かれる物ではない。芸術作品が生きるとは、見られ感動される事であろう。 ミッシェル・アンリはエゴイストではない。彼が感動し、見たものを静かに詩的に表現する。サンレミにあるジュエンヌ美術館のエステルギャラリーを訪れる者は、ミッシェル・アンリの作品がバランスよく展示されているのに出会うことだろう。純粋な線の美しさ、透明感と輝きのある赤、輝く部分を引き立たせるブラウンなど、その繊細で卓越した画家の才能が現実世界をミッシェル・アンリの世界へと変貌させる。サクランボ、コクリコやパリの風景などは、私たちにとっては日常的な物であり、特筆する程ではないが、これらのオブジェがミッシェル・アンリによって優美な絵画世界へ仕上げる。透明な花瓶の中の花束は、しばしば窓辺に置かれ、ベニスの教会やノートルダムを背景に描かれ、魔法のように美しい世界を創り出す。ミッシェル・アンリのクリスタルの透明感、ブーケの軽やかさや建物の力強いデッサン力に見られる才能がしばしば誉めそやされるし、それは否定できない。確かにそうであろう。しかし、私たちは、現実の中にあるシンプルでしかも本質的な事物に対する画家の賛嘆と情熱も同時に分かち合いたい。         パトリス・ド・ラ・ペリエール

  

5-5:ユニヴェール・デ・ザール誌 2001年3月号

ミッシェル・アンリ特集 

ミッシェル・アンリの絵画は特別な風合いがある。彼は独創的な絵画形式を作り出した。それぞれの絵画の中で支配色の果たす役割が大きい。赤とか青の基調になる色が、歌い上げられ、画家を私たちが満足いくまで、その色調の世界を漂わせる。ミッシェル・アンリの天性の才能は、確かな美学に基づいた装飾性がある。それぞれの、ボブジェ、花瓶、フルーツなどが前景に配されている。これらの身近で、親しい見やすいオブジェはシンプルで画面に彩りを添え、構成の要素となり、遠くを漂った視線がいつでも戻ってこれる場所でもある。

ミッシェル・アンリの確かな才能は、花を描く時にひときは輝きをます。ミッシェル・アンリがキャンバスに登場させる花々は、やさしい美しさ、優美さを備えている。その並外れた力量で、安らぎと一瞬のはかなさとがひそやかなやさしさを花から感じさる。ミッシェル・アンリは私たちを彼のイメージの世界へ導く。けれども、私たちの日常からそんなに遠くへ、連れて行くわけではない。現実の世界より、ほんの少し空気が澄み、オブジェが軽やかで、遥かなロマンチックな冒険に満ちた旅へと私たちの視線が旅立つそんな空間がミッシェル・アンリが私達を導く世界だ。

 

 5-6:ユニヴェール・デ・ザール誌2000年夏号 

ミッシェル・アンリ特集

創造する事は、印象をシンボルと色彩で魂を込めて表現する事だ。 

上記は終戦直後、パリ国立高等美術学校を卒業したばかりのミッシェル・アンリの言葉だ。  

画家グリュベール(Gruber)、の影響を受けて、仲間達が皆、悲惨主義(mizerabiliseme)に同調する頃、ミッシェル・アンリは<どうして幸福であることを恥じる必要があるのだろうか>と、微笑みを浮かべながら、時代の寵児悲惨主義への反抗を宣言した。ミッシェル・アンリ芸術は幸福と協調の為の戦いとも言えよう。色彩と生命力に溢れた、彼の燃え上がるような花々は、その旗印とも言えよう。その上、カザ・ベラスケスへの留学で身に着けた雄大な構成力によってブーケの美しさはさらに際立ってきた。ミッシェル・アンリの静物画は人生とやさしさのレッスンのようで、惜しむことなく絵の具をつぎ込み、色彩とマチエールを豊かにしてる。ルージュ(赤)が思い切り爆発し、花の生命力を描き尽す。ルビー色、鮮やかなローズ色、鮮やかな赤(ヴァーミリオン)が舞い踊り、世界で最も美しい都市を飾り立てる。その街の美しさも、咲き誇る生命力溢れる花々に比べると、まだ控えめに見える。自然の賛美者ミッシェル・アンリはパリやヴェニスをキャンバスの後景に退けて、人間の造形は一厘のコクリコの美しさにも届かない事を思い出させる。ここでは、美しさは私達のすぐ近くに潜んでいる、最もシンプルな形で、最も表現的にそして、最も儚く。なぜなら、もしミッシェル・アンリが花の圧倒的な美しさを描くとすれば、それは、また、花の褪せやすさも知っているからだ。そのブーケは、まだ数時間、私達の目を楽しませてくれるだけで、すぐに透明な花瓶の中で枯れてしまう。キャンヴァスの向こう側に、目を向けた時、ミッシェル・アンリの絵画には甘美さとほろ苦さが同居しているのが解る。その、コクリコやバラのブーケからロンサールの詩が聞こえてくるようだ。

<愛らしい乙女よ、みずみずしい若さに満ちた乙女よ、さあ青春の果実を摘み尽くせ、この花のように老いがお前の美しさを取り上げに来る前に>