1991年にフランス人画商のC女史に初めて会った。東京でアート・エクスとがあり、彼女はフランスの画廊に雇われて来日していた。バブル景気の真っ最中で、いくつものフランスの画廊がこのアートエクスポに参加していた。私も会場で半日過ごした。幾つかの画廊と商談をして、名詞を渡しておいた。
金曜日にC女史が私に電話を掛けてきた。東京に誰も知り合いがいなくて、同僚は日本の画廊に招待されて週末観光に行くが、自分は誰にも招待されたいないが、東京見物がしたいとの事だ。仕方がないので、私は土曜だけ彼女を車で東京を案内する事にした。
翌朝10時頃銀座の東武ホテルで彼女をピックアップして、浜離宮、浅草、などを案内して、夜は横浜のチャイナタウンで夕食して、ホテルまで送ってあげた。彼女はとても喜んで、翌日成田から帰国した。その翌年、私がフランスに行った時にパリ郊外のバルビゾン(ミレーなどのバルビゾン派が住んで絵画制作をした所)に案内して画家を紹介してくれたり、その後私が日本での独占契約をする事になったフランス画壇の巨匠ミッシェル・アンリも紹介してくれた。
彼女の離婚した亭主は、エアーフランスのパイロットで当時付き合っていた彼氏もエアーフランスのパイロットなので、航空券が格安で入手できる。、その後は頻繁にフランスと日本を往復して、盛んに日本の画廊にフランス画家を紹介したり絵画版画を売っていたが、私とは余り取引が発生しなかった。他の日本の画廊と違って私はフランス語もできるしフランスの事情もよくわかるので彼女の仲介が必要なかったが、友人として助け合って仕事をした。彼女は日本がすっかり気に入って娘も日本に引っ張ってきて暫くの間日本に住ませていた。日本が世界経済の中で存在感があった時代の話だ。